病める時も健やかなる時も。
小学低学年の頃から計算ドリルを誰がいちばん早く解きおえるか、誰がいちばんテストの点がいいか、友達同士で競う環境にあった。4年生になった頃にはもう志望する高校があって、わくわくしていた。
小学5年の冬、わたしに相談なく勝手に引越しが決まっていた。大好きな書道教室も辞めないといけなくなった。引越し先の地域には書道教室がなかったので絵を描きたいといったら、親から反対された。
引越し先は田舎で、とても閉鎖的だった。行きたかった高校も遠くなりあきらめた。学力を競う相手もなく、日々をやり過ごしている中で、転校生いじめにもあって、引きこもった。
全部が衝撃的で、道標の見えない闇に放り出された感覚だった。あの時のわたしに、できることがあっただろうか、とよく思う。いつの間にか努力することに、意味を見いだせなくなっていた。
中学2年生になると、何かにつけて「デブのくせに」と言われた。デブは悪であるらしかった。
少し痩せてみた。すると今度は「痩せてどーすんだブス」。
初めてムダ毛を処理してみた日は、「剃ってんのかよブスのくせに」。ブスも悪であるらしかった。
見た目が悪いとそんなに言われるんだ……。
それから半年ほど、また学校へ行かなかった。
何をしても言われるなら、わたしはもう何もできない、と思った。
そんな状況だから学校にはいい思い出がないのかというと、そうではない。
まだデブスいじりのなかった中学1年の頃、わたしはクラスメイトからとあるバンドを紹介してもらっていた。そこからどんどんビジュアル系バンドというものにハマった。
唯一できた親友も、同じ音楽を好きになったクラスメイトだ。
音楽は心の支えになった。現実逃避と言うより、そちらの世界のほうが現実のようだった。
中学以降、見た目にコンプレックスを抱えながら生きてきた。でもわたしは音楽に支えられているから大丈夫。死ぬまでそうだと思う。病める時も健やかなる時も。
※
そもそも見た目コンプレックスになった原因を書きたかっただけ。努力ができれば違ったのかもしれないけど、努力ができない脳になってしまったわたしは、救いようがなかった………泣