This is Not note♯9『私は如何にして心配するのを止めてMELT(不条理コントユニット)を愛するようになったか』
まだ2回しか観ていない(予備知識も無い)のに心配したり(なしよりのあり)愛したり(これはありよりのあり)いろんなことに夢中になったり飽きたり(サニーデイサービス)だいぶタイトルだけで、不条理。じゃあ、ちゃんとした始まり。
4年前になるのか。大変だったな、あの頃。大変になる一方とは思わずに。平田純哉の名前を知る。映画監督。が、配信演劇を仕切るんだ。関西の事情(いや物事全般的)に疎いので経緯は分からねど、世代が縦に繋がる素敵さに感動していた。牧野エミと言えば『売名行為』だ。TVなら『なげやり倶楽部』だ『現代用語の基礎体力』だ『ムイミダス』だ。と、興奮気味に羅列しているのは北海道で10代を過ごしていたから関西ローカルTVの最先端に触れられた(北海道ローカルTVは何故か関西ローカルTVの番組をよく買い付けていた。松竹新喜劇だって観られた笑)俺に取って憧れで幻のコメディエンヌなのだ。そして『売名行為』名前が良いのよ。KERAさんの『有頂天』や『健康』よりは俗っぽいのも関西ぽくて(偏見)オッケー。お洒落なファッションと音楽でシュールなコントをオムニバスで連打するユニットらしい(説明するのも切ないが流石に売名行為のLIVEは間に合わなかった)。ああ、ラジカル・ガジベリビンバ・システムなのか。ラジカルの面子とは『どんぶり5656』から繋がっているもんな。と、いつのまにか10代の俺の視点でモノローグが展開されているの、キショいな。諦めて、俺のnoteなんだから。ラジカル・ガジベリビンバ・システム。この名前がピンと来ないならこの後は読み進めなくて、いい。酷いな。思い出して、これは(省略)。説明し出すとnote5冊ぐらい書かなきゃいけないのよ。簡単に語るなら「お洒落なファッションと音楽でシュールなコントをオムニバスで連打するユニット」である。大事なことは2回。当時こんなユニットは他に存在せず実は今だって存在していない。シティボーイズ、中村ゆうじ、いとうせいこう、竹中直人、宮沢章夫を擁した超伝説的ユニット。影響力は凄まじく現在でもコントユニットがLIVEで行う演出は基本ラジカルマナーだ(幕間を映像・音楽で埋める)。そして、この笑いのナラティブはKERAさんや松尾さんを通して、演劇界も席巻していく。お、ヤット芝居の話じゃん。とにかく正しい時系列はモリタタダシ(@hustlecola)氏にでも問い正して欲しいが80sにそれまで別種の展開をしていた関東と関西の演劇とお笑いに同時多発的なムーブメントが起きていたのだと理解して欲しい。じゃないといつまで経ってもMELTについての文章にならないから。いやまあこれもMELTについての文章なのですが。例えばだ、シティボーイズがTVに現れ出した時に東京ヴォードヴィルショーとか東京乾電池やWAHAHA本舗といった「奇妙な人たち」を色々な番組で見かけていた子供は「ドリフターズでも芸人でもない(なんだその分け方と思うだろうがドリフはドリフだ)面白い人たち」を観て「演劇」とか「コント」って言葉の意味をうっすらと感じたのである。伊藤四郎や小松政夫に感じていた「この人たちはなんか違うな」って微かな違和の意味を。それらを一気に上書きしたのがラジカルを中心にしたムーブメントなのだ(あくまでアンダーグラウンドなのがpoint。メジャーはつかこうへいとビートたけしとフジテレビと角川)。かのダウンタウンもこのムーブメントから現れたと言ったら過言だけど、嘘じゃない。
一瞬じゃんとツッコミが入りそうなので本当はこれだけでnoteが1本書けたり旧Twitterでプチバズりそうな大ネタをブッ込むが当時『花王名人劇場』って演芸番組があり毎年『名人大賞』を表彰していて『新人賞』にシティボーイズとダウンタウンがノミネートされ受賞したシティボーイズが演じたネタは「シティボーイズのクレイジークッキング」という料理人経験のある大竹まことを中心としたブチ切れ系料理ショーだった。お気づきだろうか。後年『ごっつ』で披露された『キャシイ塚本』の原型(キャラに元ネタがあるのは承知の上で)なのだ!そんな大ネタじゃないし妄想だろ!いい加減にMELTの話を始めろ!(ちょいと立川志らく文体)
ある時に主催していた公演告知スペースに参加して頂いていた吉田有希さん(ダダ・センプチータ。5月に公演がある)が「あ、MELTの平田さんが来ている」と教えてくれる。平田純哉。流石にこの頃は映画監督だけでなく俳優でラッパーでMELTの人だって知っていたので、慌てる。「こんばんは」良い声で入ってくる。「ラジカル、健康、売名行為etc…に影響を受けた不条理コントユニットやってます」大雑把にまとめるとそんなことを良い声で。降伏。これで私が如何にしてMELTを観に行くことになったか、ご理解いただけますようお願い致します。
開場と同時にゲイシャガールズが爆音で流れるので場内案内の人の説明が聞こえない。次は電気グルーブ『ママケーキ』。喋るなら今だ笑。YMO『中国娘』が流れると後ろのカップルが『良い曲ー』と検索する。暗転して、コラージュ映像。そして、始まるコントオムニバス。わあ、あの頃だ。と、うっとりするみたいに書けば口触りは良いのであるが笑、ナンセンスで不条理なコントの筈なのに思ったよりオーソドックスにオチをきちっと伝えてくるので、なんだろ思てたんと違うてか世代の違い(いや嗜好の違い?いやそこは一緒なので結局、何の違い?)を思う。シングルカットされた自信作『通夜にワンチャン』(後にオルギア視聴覚室でも披露。基本は身一つでやり逃げみたいなイベントでも映像を持ち込んで『スネーク・オイル』の告知をしたのがMELTのPOINT)めちゃくちゃ面白いのにオチがこうなんだもっとナンセンスてか奇跡が起こるてか不条理の神が降臨てかそれだとラジカルになっちゃうんだけど。平田純哉は神谷圭介と矢作兼と各種調味料を足して3で割ったみたいな風貌でやっぱり良い声で上手い。上手いのよ。困ったのは(その日限りなら)幕間の映像(平田たちがギャルに弄られる笑)が1番の爆笑をかっさらったことでそれでいいのか?と笑った。終演後のトークゲストに来たアガリスクの面々の目つきの悪さと比べると目つきの素朴さがその笑いを生むのでそれはそれでいいか?と笑った。
なのでタイトルにメタな部分はあって「私は如何にして心配するのを止めてMELT(不条理コントユニット)を愛するようになったか」と叫ぶ(叫ばんでも)のは今夜これから『スネーク・オイル』を観終わって満足した後でそっから投稿すればリスクは少ないのにそこは負けなしの観劇ギャンブラーマジもんの観劇プレイヤーとして、今夜のMELTに賭けたいのだ。いい迷惑である。大好きな小林和葉は出ないしフライヤーはcool(『骨と軽蔑』裏面オマージュ?笑)だし平田純哉の言葉は信じたいし嫌じゃないしカッコつかないし(電気グルーヴ)。出演者にアガリスクの伊藤圭太がいるのはナンセンス(だけではない)コメディ界これからの50年にMELTの名前を刻む覚悟だと受け取っている。令和に『不条理コントユニット』を名乗るなんてMELTしか存在していない。異常な愛情だ。いい迷惑である。今夜にトゥナイト(シュールなオチ)。
と、リアルタイムで感想をドロップできる編集が許されるnoteいいな。これからそういう使い方をしてみたい。平日の王子小劇場の客席がこんなにパンパン(拙い巨人師匠の物真似で)なの凄くない?MELTもう来てる?始まる。客入れのMから思っていたのだが、重い。音楽と映像と朗読のインスタレーションが、重い。死の匂いプンプン(拙い巨人師匠の物真似で)やん。なにがMELTにあったの?前振りにしては重くて長い。これはマジなのだ。(落差は笑いの)定石として『王様ゲーム』のコントが始まるも流れが読み易いのと俳優の陰キャぶりで笑、乗れない。タイトル出しはカッコいいとして伊藤圭太と江益凛と平田が揃うまでは大丈夫?って感じだった。一言で言えば『魂』の演劇で面白く伝えようとすれば「生きてるって逆の意味で死んでない?」って芝居なのだけど「笑いは間と響きのリズムの変化による緩急」が基準な俺にとって『スネーク・オイル』はとにかく長いてかタルいてか暑苦しい。殆どが熱演になっている。アバウトに演劇の文体って脚本と俳優で違っていてそれを密着させるのか分離させるのかを作家や演出や俳優でどう置換させていくのだとすると宇城悠人の脚本(中央政府と独裁者のくだりが秀逸)はだいぶ難儀で(ダイアローグがあんまり上手くないのは別にして)脚本ファーストにすると文体のバラけ方が気になる。モティーフや技法がバラエティに富むのは構わなくても文体がバラけると俳優の技量がモノを言う(逆の意味で脚本が俳優に寄せていない)ので伊藤や江益や平田みたいにコメディ圧力が高く自分に引き寄せた上で手数を持たないと115分(この尺の時点で遅延している)が保たない。(ある意味で俳優に失礼な物言いだが)俳優が魅力的じゃない時の責任は演出にある主義者なので平田を詰めたい笑。特にフレーズの発語はきちんと演出しないと。笑いてかコントはまず構造ありきで構造がしっかりしているから崩せる。逆に構造がしっかりしていれば崩す必要がない(天丼)。宇城も平田も構造を楽しむ前に要素を全部足ししたいタイプなのか笑。例えば「若おかみは小学生!みたいな言い方して!」の次は「猫型ロボットと生活して秘密道具で…ってドラえもんみたいな言い方して!ないよ!秘密道具は!」なのである(例えなので面白いかどうかは抜きね)。そろそろ思われるだろうがガチうざいのは分かっている。感想に嘘はつきたくないのは前提としてガチうざいからこんなnoteを書くのである。だから不条理コントユニットなんて応援している。諦めて。そしてガチうざいのは笑いだからでロジカルな部分が大きいからだ。M-1を日本国中が騒ぐには理由がある。日本人がロジカルを苦手とするのはまた別の話だ笑。演劇的にもラストの演出は疑問で(ガチでガチうざい)伊藤と江益の食事の場面に音楽とエンドロール被せて江益が去ったら一瞬の沈黙の後に伊藤の最後の台詞で終わって無音でカーテンコールに行けば、尺含めて綺麗なのにそれはそれはエモいてか長い笑。で、ここまで悪口を書いても許されると思っているのは平田も宇城も(いやMELT全員が)そんなことは分かっていて敢えて『スネーク・オイル』をこのように創ったのを(更に2人の当パン文章を終演後に読んで)理解した上での愚痴だと察して貰えるという甘えだ。ナンセンスコメディヲタに楽しめるような演劇=ドラマを今回は(も)作らねえよ。そして大多数の観客は十二分に楽しんで感動している。いや俺も感動はしている。でも単純にもっと笑ってもっともっと価値観を揺さぶられたかったんだ。不条理コントユニットを追うなんて、それ以外に理由なんてない。noteいつまでも書けんのやっぱよくないな。江益の後ろ姿を見送るように次のMELTは旧Twitterで愛しましょう(もとい、会いましょう)。