「文字が紡ぐ、時代のうねり──戦後日本が選んだ左横書きの物語」



街角で目にする役所の書類や学校の教科書、それらに並ぶ文字は、どこも左から右に流れています。このスタイルは、今ではすっかり日常の一部ですが、実は戦後の日本における大きな変化の象徴であることをご存知でしょうか?文字の向きが変わった背景には、時代の転換を象徴する深い物語が眠っています。今回は、そんな「左横書き」の歴史とその意味を紐解いていきます。

第1章:戦前の日本──右から左へ流れる文字のリズム

かつて日本では、文字の向きは右から左へ書かれるのが一般的でした。この右横書きのスタイルは、筆で書く文化が根付いていた日本において、筆の自然な動きに沿ったものとされていました。看板や新聞の見出しにもこのスタイルが見られ、たとえば「東京」を書く場合は「京東」と並べて右から読むような配置でした。この文化は、日本人の生活に深く根差し、日常的に使われていました。

しかし、第二次世界大戦が終結し、戦後の日本は大きな転換を迎えます。連合国軍総司令部(GHQ)の占領により、欧米の影響を強く受けることとなり、左横書きが急速に普及しました。GHQが推進した改革の一環として、英語や西洋の技術的文書が日本にもたらされ、役所や学校では新しい文書作成法が求められたのです。

第2章:1952年──公文書が「左へ」舵を切った日

転機となったのは、1952年に発表された「公用文の作成要領」です。ここで政府は**「左横書きを原則とする」**と正式に通達し、公文書における右横書きは姿を消しました。これにより、戦前までの混在した書式から、現在私たちが使う左横書きのスタイルが定着したのです。

なぜ左横書きが選ばれたのでしょうか?
その背景には、主に三つの理由があります。
1. 「技術の波」:欧米製のタイプライターや活版印刷の普及により、左から右へと文字を打ち込むことが効率的になったため。
2. 「国際標準への接近」:英語や数字が左横書きで表記されるため、国際的な整合性を持たせる目的がありました。
3. 「民主化の象徴」:GHQによる日本社会の民主化が進む中で、旧体制との決別を象徴する意味合いも込められていました。

この時期、人々は長年慣れ親しんだ右横書きから新しい左横書きへの移行を強いられ、文字の向きが変わることは単なる形式変更以上の意味を持つ、大きな社会的変化を象徴していたのです。

第3章:文字の向きがつなぐ、過去と未来

興味深いのは、縦書き文化が完全には消えなかったことです。特に小説や新聞、漫画などでは、今でも縦書きが主流であり、これによって日本は独自の書文化を守りつつ、横書きで国際社会とつながるというバランスを取ってきました。横書きと縦書きの共存は、戦後日本の独自性を反映しているともいえるでしょう。

ある老舗文具店の店主は次のように語っています。
「戦後すぐは右横書きの帳面が売れ残り、左横書きのノートが飛ぶように売れました。でも、お盆や正月の熨斗(のし)紙は今でも右から書くんですよ。変わったものと変わらなかったもの──その両方が日本の良さなんです」

この言葉は、戦後日本の変革とその中で守られた伝統を象徴しています。文化の中で残すべきものと、新しい時代に向けて変化を受け入れることのバランスが、今の日本の「文字文化」を形作っているのです。

第4章:私たちに遺された「筆記の記憶」

現代においても、スマートフォンやパソコンで使うのはほとんどが横書きですが、ふとした瞬間に縦書きを選ぶこともあります。手紙を書くときや俳句を詠むとき、私たちは意識的に縦書きを選んでいることが多いです。これは単なる習慣ではなく、**「文字の向きが心の動きを映す鏡」**だからだとも考えられます。

左横書きが普及してから70年。文字の向きが変わるという単純な形式変更を超えて、それは戦後の傷ついた国が新たな自分を見つける物語であったのです。文字の流れに込められたのは、国際社会への接近、技術革新への適応、そして何よりも「過去を引き受けながら未来を書く」という静かな決意だったのです。

おわりに:

次に書類に記入するとき、ふとペンを止めてみてください。左から右へ流れる文字の向きに、戦後の日本が抱えた希望と葛藤、変えたものと守りたかったものが、そっと息づいていることに気づくかもしれません。文字一つひとつに、時代を超えたメッセージが込められているのです。

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