岸信介:激動の時代


岸信介(きしのぶすけ)は、戦前から戦後にかけての日本政治において極めて重要な役割を果たした人物です。彼の生涯を振り返ると、その政治的手腕や数々の業績が注目されがちですが、終戦時に猩紅熱(しょうこうねつ)にかかっていたという事実は、彼の人間性や時代背景を深く考える上で興味深いエピソードです。

猩紅熱とは?

猩紅熱は、A群β溶血性レンサ球菌という細菌によって引き起こされる急性伝染病です。主な症状として、以下が挙げられます:
• 発熱:急激に高熱が出る。
• 喉の痛み:咽頭炎を伴う。
• 全身の赤い発疹:特に胸部や顔から広がるのが特徴。
• 舌の変化:いわゆる「苺舌」と呼ばれる赤く腫れた舌が見られる。

現在では抗生物質の投与で比較的簡単に治療できますが、当時は医療技術が限られていたため、重症化すると腎炎やリウマチ熱といった合併症を引き起こすリスクが高く、命に関わることもありました。

岸信介の猩紅熱罹患とその背景

1945年8月、第二次世界大戦が終結したとき、岸信介は満洲から帰国する直前に猩紅熱に罹患していました。敗戦という国家的混乱期において、彼自身も健康を損ねる状況にありました。この事実は、彼が戦争責任や戦後復興に直面する前に肉体的にも精神的にも試練を受けていたことを物語ります。

猩紅熱は当時、特効薬のペニシリンがまだ一般に普及していない中で治療が難しかった病気です。岸信介がこの病を克服したのは、彼の強靭な体力と運命的な強さを象徴するエピソードとも言えるでしょう。

「昭和の妖怪」としての復活

岸信介は、戦後にA級戦犯容疑者として収監されましたが、健康を取り戻した後は驚異的な速度で政界に復帰します。終戦後わずか4年で首相に上り詰め、1960年には日米安保条約改定という歴史的な政策を推進しました。

彼が「昭和の妖怪」と呼ばれる理由は、その冷徹な頭脳と計算された政治手腕にありますが、終戦時の病を克服し、不死鳥のごとく復活した姿もまた、この異名にふさわしいと言えるのではないでしょうか。

病と権力の関係

岸信介の猩紅熱罹患は、単なる個人のエピソードにとどまりません。戦争直後の日本では、多くの人々が栄養不足や医療体制の不備に苦しむ中、指導者層もまた病や疲弊に苦しんでいました。それでもなお、岸が日本の再建に尽力した姿勢は、彼の非凡な意志の強さを示しています。

まとめ

岸信介が終戦時に猩紅熱にかかっていたという事実は、彼の人間的側面と時代背景を理解する上で欠かせない要素です。この出来事を通じて見えてくるのは、健康を脅かされながらも日本政治の中枢で活躍し続けた彼の強靭さと、戦後日本の混乱を象徴する一つの物語です。岸信介の人生には、病を乗り越えた「人間」としての苦難と、それを超えて「昭和の妖怪」としての名声を築いた力強さが共存しています。

いいなと思ったら応援しよう!