宮沢賢治の生涯と信仰 ~90年を迎えた追悼法要を機に~
岩手県が誇る作家、宮沢賢治
宮沢賢治は1896年8月27日に岩手県花巻市で生まれました。花巻の豊かな自然環境と、文学的な才能を開花させる家庭に育った彼は、五人兄弟の長男として幼少期から家庭の中で強い役割意識を持ちつつも、控えめで謙虚な性格だったとされています。彼の弟、清六氏の著書には、宮沢賢治が食事の際に「足りないかもしれない」という配慮から、自分の取り分を少なくしていたという逸話が残されています。
病気との闘い
宮沢賢治の生涯は病との戦いでもありました。彼が生まれた当時、赤痢が流行し、彼もこの病に罹患しています。その後も数々の病気に悩まされ、体調は万全とは言えないまま短い生涯を送りました。しかし、彼はその中で多くの作品を生み出し、文学と信仰に向き合う姿勢を貫き通しました。
法華経との出会いと宮沢賢治の文学
賢治が18歳のとき、彼は仏教の経典である『法華経』に出会います。『法華経』の教えは賢治の人生と作品に深く影響を及ぼし、特に「諸行無常」の教えは、彼の作品の根底に流れるテーマとして繰り返し現れます。例えば代表作である『銀河鉄道の夜』に登場するジョバンニが持っていた緑色の紙は、法華経の信仰と通じるシンボルでもあり、作品に仏教的な視点が色濃く反映されています。
宮沢賢治の菩提寺 身照寺
岩手県花巻市にある「身照寺(しんしょうじ)」は、宮沢賢治の菩提寺として知られ、彼の墓もここにあります。2023年4月23日、賢治の没後90年を記念して法要が身照寺で行われ、遺族や彼と縁の深い人々が参列しました。この身照寺はぎんどろ公園の近くに位置し、狭い石段を登ったところに本堂があります。
「菩提寺(ぼだいじ)」とは、仏教において信者が安置されるお寺のことで、代々の家族や一族が眠る場所です。各地域にはこうした歴史的な菩提寺が多く存在し、長い歴史を持つ寺院がその地域の文化と共に根付いています。宮沢賢治の菩提寺である身照寺もまた、地域の人々に愛される場所となっています。
「雨ニモマケズ」詩碑と市民の献花
花巻市桜町には、宮沢賢治の有名な詩「雨ニモマケズ」が刻まれた詩碑が建てられており、賢治の追悼に訪れる市民が多くいます。特に法要の際には多くの人々が訪れ、詩碑の前に花を手向け、彼の生き方や作品に思いを馳せています。この詩碑は宮沢賢治の信念や人生観を象徴するものとして、多くの人にとって心の支えとなっています。
世田谷区妙揚寺の住職・北川前肇さんによる賢治研究
宮沢賢治の研究者として名高い妙揚寺(東京都世田谷区)の住職、北川前肇さんもまた、法要に参列されました。北川氏は出家以来、宮沢賢治の作品を仏教学の視点から研究し続けてきました。彼は賢治の生き方を「五里霧中」と表現し、自らの人生と重ね合わせながら、賢治の作品と仏教との関わりについて考察を深めています。
北川氏によれば、賢治は20歳になる前に法華経に出会い、そこで得た信仰が彼の未来への希望となり、彼の人生において強い支えとなったと語っています。人生の長さではなく、その中で何を成し遂げたかが重要であるという考えに基づき、北川氏は賢治の短い生涯とその多大な作品を評価し、「賢治が残したものはまさに人々に光をもたらすものである」と述べています。
岩手県の自然と宮沢賢治
賢治が生まれ育った岩手県花巻市は、自然豊かな土地であり、彼の作品にもその風景が色濃く反映されています。また、花巻温泉など観光名所も多く、訪れる人々にとっても魅力的な地域です。賢治の作品の中には、この岩手の自然を愛し、守りたいとする思いが随所に表現されています。