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3.11のこと、私の体験談

私は当時、卒業を控えた中学3年生だった。
それは、音楽室で「大地讃頌」を歌っている時に起きた。

「ガタンっ」

突然の大きな夜の揺れ。
一瞬、みんなの動きが止まる。

「あ、地震だ」

そう思ったのもつかの間だった。
揺れがだんだんと増え、より大きくなっていく。

初めは先生も笑っていたのが、ある瞬間に真剣な顔になった。

生徒を守らねば。

その一心ができた瞬間だろうなと私は思う。
女子から悲鳴が上がる。
男子も、自分の身体を支えることで精一杯。

全員しゃがんで、嵐が過ぎるのを待った。

その間も、先生は必死に生徒達を見守っていた。

しばらくして、揺れが収まる。
収まったはずなのに、まだ揺れているような感覚。
こんな経験は初めてだった。

窓から見える避雷針が、ブォンブォンと揺れる。
(恐ろしい)
そう、思った。

校庭に出て、全校生徒待機。
親類から連絡が取れたものだけ、来た大人と共に帰宅して行った。

ニュースは見れない。
私達は中学生で、当時スマホなんてなかった。

私の親は美容院に行っており、とりあえず家の近いMくんと、その祖母と帰宅した。

家の鍵がなく、入れなかったのだが…。

家の中から、水が漏れている。
玄関にいた金魚の金ちゃんに何かあったのだろうか。

心配になった私は、公衆電話から親に連絡を取ろうとした。
然し繋がらない。

電波は混線している。

どうしようもない。不甲斐なさを思い知った。

立て続けに余震が起こる中、母と合流することが出来た。

父親も、弟も無事らしい。

やっと、自宅に帰ることが出来た。

金魚は、水が少し溢れていただけで何とか大丈夫だった。
家の方もそこまで被害があった訳ではなかった。

そして、ニュースをつける。
そこで見たものは、大きな波、流される家、どす黒い水の塊だった。

東北部の現状を、この時初めて知った。

震災から8年。

私は思う。
私は幸運だったんだと改めて。

東京という都心にいて、人と連絡が取れて、友達に今も会える。怪我もない。

沈静化しているように感じるが、震災の響きは未だに残っている。

そう言えば、大学2年の頃には東北を旅行したことがあった。
その時でさえもまだ、津波の爪痕が残っていた。
実際に現地で見た光景は、今でも忘れられない。

8年前から、私の家では防災グッズが置かれた。
避難場所も決めた。

どうしようもなく、襲いかかる自然災害には私達は為す術もない。

けれど、誰か一人でも、身近な1人でもほんの少しの行動で守れるかもしれない。

私が大人になって、当時とは違う心境はここにある。

20歳を超えた私は、「守る責任」を負っているのだ。
今日、考えて気づいたこと。

こういう時にしか、考えられないこと。
忘れてはいけない。

どうか、2011年に亡くなった方々が
少しでも救われますように。

#311
#東北震災から8年

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No、4

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