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昨年秋に検索した言葉


【ラストラリー現象】という言葉をご存知でしょうか
私がこの言葉を知ったのは昨年11月
その頃googleでキーワード検索していたのは

死ぬ前兆 老衰余命 点滴
せん妄
などなど。
検索して出てきたX、インスタ、ブログ、noteを読んでいくうちに
ある言葉を目にした。

【ラストラリー現象】

私は昨年初めてこの言葉を知った。

母は昨年10月末に転び救急車で運ばれた。
右ひざ骨折。【右大腿骨遠位部端骨折】
手術は全身麻酔で約2時間
プレートを入れてとめる手術だった。
手術は無事終わった。
リハビリが順調にいけば約1ヶ月で退院、
その言葉をまあまあ信じていた。

11月3日手術の翌日
母の携帯電話に福岡から電話した

『手術がんばったね』

「あら手術もう終わったかいな?
 でもまだ痛い。
 個室だから快適、オムツなんてイヤだわー
 食事も全部お任せ』と話す母は
骨折する前と変わらぬ様子だった。

3年前から、認知症となり要支援1の認定を受けていた。症状としては、ひとつの話はできるけど他の話を同時にすると混乱してふさぎこむ。
それと忘れっぽい。そういったところだ。

ただし、計算は速い。

数学が得意だった母は車のガソリンの1リッターあたりの価格がいくらかを素早く暗算で出していた。
金額÷入れたガソリン量
レシートを見ながら、ガソリンスタンドを出る時はいつも得意気に
今ガソリンは1ℓあたり○○円ね!
「yaaは計算遅いね~
娘3人とも数学嫌いってどうしてかね~?
私よりお父さんに似てしまったんだわね~」

うん、そうだよ、娘3人とも数学苦手だよ( ノД`)

母が運転免許を返納したのは5年前になる。ガソリンの単価を計算することはなくなったが、日常のちょっとした計算だけは最後まで速かった。


福岡から毎日電話で励ますことを決めて実行した。
ところが、手術から1週間経過後、母が携帯電話に出なくなった。
個室から大部屋に移ったからだろうか。
毎日仕事の合間に会いに行く姉の話だと
食欲もなくなり、リハビリする気力もないという。

看護師さんが足をマッサージすると『痛い痛い』と痛がり、車いすの乗り降りも嫌がるというのだ。
携帯電話に出ないことを姉に伝えると、その頃から誰からの着信音にも反応せず、携帯電話を触ろうともしなくなった。というのだ。
おそらく寝たきりで世話される側になり、頑張らなくてもいい状態になったことで、張っていた糸がプツンと切れてしまったのでは?という気がした。

手術前の電話で
「大丈夫?転んだの?痛かったでしょう?」と聞いたら

「うん。転んだと思う。
みんなに迷惑かけんように、転ばないように毎日気を付けとったけど、転んでしまったわ~
心配しなくていいから。それよりあんたたち家族はみんな元気?」と返事があった。

毎日、大事なことを忘れてはいけないと頑張っていたもんね。メモ用紙に書いたりカレンダーに書き込んだりして。

同居している姉家族、孫家族に迷惑をかけないように、と。



手術から20日経った頃、病院の食事には全く手をつけず、ゼリーもほとんど口にしなくなり、飲み物もほとんど飲まなくなってゲッソリしてきた母。
目は落ちくぼみ頬はこけて、生気のない顔とはあの顔だと、今もスマホに保存してある写真を見て思う。

看護師さんから
「何かお母様が好きだったものを作って持ってきて下さい」と言われ、姉は母の大好物、お赤飯と茶わん蒸しとプリンを持って行った。

その日は、お赤飯と茶わん蒸しを少し舐めたようだが、やっぱり飲み込まなかったようだ。
プリンは開けずにそのまま冷蔵庫へ。

次の日、姉から連絡があった。
なんとプリン1個完食したと。
3姉妹のグループラインに姉が毎日母の様子を送ってくれていた。
姉と妹は母がプリンを完食したことを心から喜び安堵している。
この調子で元気になってリハビリも進むかもしれないと期待をしている。

私は正直驚いた。
ここ数日全く飲食しなかった母が急にプリン1個を食べるなんて!
おかしい!
これはもしかしたら最近知った
【ラストラリー現象】なのでは?と


3姉妹グループラインに私が送った文

❝【ラストラリー現象】で検索してみて
亡くなる数日前に見せる不思議な現象
細胞が死んでいくけど脳が生きようとして驚きの幸せなアドレナリンを出して元気になる数日、人によっては数時間がある。

それではないことを祈りたい。
お姉ちゃん妹ちゃん、いつもありがとう。❞

私のこのメッセージに姉と妹は明らかに困惑していた。

え?ラストラリー現象?なになに?

こちらのnoter様の記事も読ませていただいていました。昨年秋はアカウント作ってなくnoteがどういう場所か知らぬまま読んでいました。この場を借りてお礼申し上げます。
この記事を書き残していただき、ありがとうございました。

結局このプリン完食は、ラストラリー現象ではなかったが
このプリンは母が口にした最後の甘い固形物だったと思う。
甘いものが大好きだった。
特にあんこや、ソフトクリーム、プリン。
清水羊羹やたい焼きアイス・プリンは母の部屋の冷蔵庫に常にあった。

そして
この【ラストラリー現象】検索してみて!
のやり取りの日から1か月と10日後
母は天国へと旅立ちました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

※母の認知症の話なども今後書いていこうと思います。


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