認知症の始まりはこれ?
こんにちは
今年1月に老衰で他界した母(83歳)のお話です。
私たち娘3人が結婚してからは、母は実家に一人で暮らしていました
あれは、母が何歳くらいだったろう?75歳かな
毎朝6時に起きて台所に行く、時計を見る。
いつもと同じ行動。しかしその日は
①時計が何をしめしているのかわからなくなった
②毎朝使っているポットの使い方がわからなくなった、と。
その話を聞いたのはその日の夜
たまたま帰省していた時の事。
その時「ン?」と思ったものの、あっけらかんと話す母の様子からあまり深く考えなかった。
話を聞いていくと、その日の午後2時頃には時計が時刻を表すものだと認識できたし、いつも使う電気ポットの沸騰ボタンや、押せばお湯がでる機能を思い出し、コーヒーを入れて飲んだという。
こういった出来事がその後頻繁に起きていたわけではなさそうで、病院にも行かず、誰にも話さず日常生活を難なく送っていた。と思われる。
しかし、今思うとこれがなにかの合図で、病院に翌日一緒に行っとけば、認知症に対してもっと自分から働き掛けが出来ただろう。
脳に異変が起きていたのは間違いないと思う。
母は実家で一人で暮らし。車を運転して買い物やギター教室にも高齢のお友達と通っていた。
妹家族が実家に一番近く、母もよく妹の家に遊びに行ったり買い物に一緒に行ったり。
私の住む福岡には年に1回、1週間滞在、九州各地をドライブしたり美味しいものが大好きだったので田舎にはないちょっとおしゃれな甘味処に連れて行って、うちの息子2人の話を笑いながら聞いてくれた。
母がうちに泊まると、旦那の動きが普段と違う
張り切る。得意のトマトソースパスタを作ってくれて一緒に食べながら、母の思い出話を1時間ぐらい聞いている。
戦後貧しかった話、学校から帰ると柿やいちじくの木に登って柿やらをパクパク食べていた話。お兄さんたちより早く帰って木に登らないと先に全部食べられるから、終礼時はそわそわしていたという話。
自分が料理が苦手だから、結婚するなら長男で同居がいいと思っていた、という話。私はそんな話、母から聞いたことなかった。
結果、長男でイケメンの父をお見合いでゲットしたね!
念願の同居だったとは・・・知らなかった。確かにおばあちゃんの作ってくれる鯖の味噌煮とけんちん汁は絶品で、母の作るそれとはなにかが違った。
42歳、ガンで亡くなった父のことも話していた。そういえば私はその時のことを母に尋ねたことも聞いたこともなかった。
「今夜がヤマです」と言われた日、何のことか信じられなかったという母。38歳だもんね、、
母の話す昔話に鼻水をすすり、涙ぐんでうなずいている旦那。
私は洗い物をしながら
いい人と結婚したなと思った。
母が77歳頃、実家を壊して新築の家で姉家族と同居生活スタート
気ままな一人暮らしから一気に8人暮らしになる。
この環境の変化は母にとって良い面もあったがストレスも大きかったと思う
ちょうどこの頃から車の運転も危なくなった。
①一時停止を無視⓶信号無視
2回違反をして、悩んだあげく渋々免許返納をした。同居している姉はホッとしたと話していた。が、母はやっぱり電話をすると、運転免許に未練たっぷりの様子だった。
「ボケてない!計算とか暗記は完璧なのに!80歳までは運転したかった!」と。
75歳の朝、起きてすぐの異変
①時計が何をしめしているのかわからない
②毎朝使っているポットの使い方がわからない、
これらはきっと重要なサインだった思います。
翌日検査しておけばよかったかな、少し後悔しています。
脳が萎縮してきた頃に大きく生活環境を変えることになった
①免許返納②1人暮らし→8人暮らし
これらが認知症を加速させたのでしょうか?
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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