今日は散々な一日であった。お客さんに怒られ、上司に叱られた。久々の出勤のためか注意力は散漫となり、思考が明晰ではなくなった。思い返せば四ヶ月振りの出勤のようだ。不甲斐ない自分から溜息が漏れる。慣れというものほど、残酷なことはない。幾度も繰り返した行動を、たったの数ヶ月で忘れてしまうのだから。
会社からの帰り道に、あの曲を聴こうと思った。心がか細くなるたびに聴き返すあの曲を。
その曲と出会ったのはもう十五年も前のことだ。いまだに鮮明に思い出すことができる。あの日も高校で良くないことがあって気分が塞いでいた。その気分のまま自宅に帰るのは気が引けたので、帰り道の途中にあったレンタルCDショップに立ち寄った。何の目的もなく、シングルランキングを1位から順に見ていった。ランキングにも入っていなく五十音順にも分類されていないCDシングルが、埃を被って什器の端に無造作に置かれていた。誰からも忘れ去られているようだった。曲名も歌手名も知らなかったが、とりあえず借りていくことにした。何も借りずに帰ることは、何も選択しなかった自分を認めてしまうようで、妙に恥ずかしかった。
自宅へ帰り、ヘッドホンからすぐにその曲を流した。イントロの一音目はおそらくAのコード。少しきつくかかったクランチサウンドが、その日は非常に心地良かった。音に潔さを感じたのは、その曲を聴いた時が初めてである。その一曲を幾度も繰り返した。レンタルCDショップでの選択は正しかったとその日の自分自身を認めることができた。
残業も早々に切り上げ、早足で会社を出る。ヘッドホンを耳にあてる。あの日と同じだ。はやる気持ちでヘッドホンのBluetoothの電源を付けようとするが、なぜか付かない。何度も付け直そうと試みるも電源が付く気配は一向にない。スマホで調べてみると、どうやら充電が切れているようだ。またもや自分の不甲斐なさに溜息が漏れる。
仕方がないので、ヘッドホンを外して頭の中でその曲を再生してみる。イントロの一音目は、少しきつめのクランチサウンド。そして、潔いAのコード。呪文のようにつぶやくと、街の音をかき消すようにその曲は鳴り始める。マスクの下で笑みが溢れる。曲のBPMに自然と歩調が重なる。擦り減った革靴の踵がコンクリートの地面に打ちつけられて、こここと大きな音が鳴る。音が鳴った瞬間、僕ははっきりと分かる。靴底がこここと鳴らす音が、この曲の一音目と同じAであることを。