伝説になる君へ
5/12
享年25歳
最後に姿をみたのはあなたの誕生日、ツアーの千秋楽
産まれたことをあんな大勢に祝われても尚、何を思っていたのだろう。
ぐちゃぐちゃになって眠れなかった夜にこんな気色悪いメッセージを送ったことがあった、
そのやりとりは今も残っている。
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こんな感情をぶつけられても困るだろうとは思うのですが、やけに眠れないのでぶつけさせて下さい、受け取らなくて大丈夫です。
NEEのことは歩く花を聴いて好きになりました、多分2,3年前くらいです。
当時付き合っていた人とのドライブ中におすすめだよなんて話して流して、「あんたのお腹に命が宿っても」の歌詞もよく考えず「いいかな、僕は馬鹿だ」と歌っていました。
今思えば本当に馬鹿ですが初めて付き合ったその人とは本気で結婚する気でいました。相手は私の一つ歳下でくぅさんと同い年、晴れて保育士になった社会人一年目でした。はやく同棲して、住むならここがいいよね、同棲一年したら結婚して、子供は3人欲しいね、そんな事をよく話していました。親御さんにも挨拶をしていました。
そんなとき、私のお腹に命が宿りました。順番を間違えました。でも、授かり婚にはなってしまうけど結婚しようと話し合って決めたところで、初期流産しました。私はストレスとショックで自暴自棄になりました。そんな私を彼が支えきれる筈もなくすれ違いあっけなく別れました。皮肉にも私は結婚式に関わる仕事をしていた為、幸せそうな新郎新婦(加えてこの時 何故か妊婦のお客様が多かった)相手の接客は心身ともにすり減り接客後に吐くこともありました。
自暴自棄で逆にハイな状態など当然続かず、耐えきれず一ヶ月休職しました。その間、祖父の死と大切なペットの死も重なり、不幸でわけが分からなくなり、生と死、愛と離別について部屋に籠もって考えていました。祖父の葬儀で初めて灰になった“人だったもの”を拾い、そのあっけなさに不思議と死への恐怖はほぼ無くなっていました。そんな中、彼が復縁をしたいと言うので流れるまま復縁をしましたが、当然うまく行きませんでした。バンドの音楽だけが救いで、ライブハウスへ行くのを生きがいにしていました。
休職明け、職場の冷たい視線に背筋が凍り、もうここでは働けないと思いました。謝罪も無視、仕事はふられず、透明人間になったようでした。午後にやっと口を聞いてもらえたと思ったら罵詈雑言を浴びせられ、次の日辞職を申し出ました。この際全てまっさらにしよう、と彼とはもう二度と戻らないと決意し別れてすべての繋がりを絶ちました。
ニートになり、彼との同棲、結婚のためにしていた貯金と有り余る時間と鬱々とした気持ちと漠然とした不安だけが残り、縋るものは家族とわずかな友達とライブハウスだけでした。よし、貯金を使い切ったら死んでしまおう、と決めていました。ただ死を前提に生きようとてやりたいことなんて何も有りません。死ぬ気でやればなんでも出来ると言いますが、死ぬ気の人には死ぬ気でやりたいことなど無いです。欲望や夢、野望、なにもない、無です。“見えない恐怖”だったはずの死も祖父の遺骨を拾う中でさほど怖いものではなくなってしまった為、逆に無敵のようでした。鬱だったのかもしれませんが、精神病院などにも罹らず薬にも頼らずに乗り越えたのでそうでもなかったのかもしれません。
音楽は人を救います。そんな無敵な鬱ニート期間、音源は聴いていたけど一度もライブへは行っていなかったな、というバンドたちに会いに行ってみることにしました。その中のひとつがNEEです。歩く花と嫌喘だけはずっと聴いていて、どんな人たちが歌っているのかも知らないまま1年ほど過ごしていました。フォローしていたTwitterでメジャーデビューすると知り、見てみた第一次世界のMVがしぬほどよくて他の曲も聴くようになりました。スタンプラリーツアーの追加公演で遠目から見たあの日から、どんどん大きくなり活躍していく姿を目撃できたこと、行きたかった箱へ連れて行ってくれたこと、夢を叶えた景色の一部になれたことだけでも、死ぬ前提であの日々を生きた甲斐がありました。
結局あれから2年が経っても生きています。新たに仕事も変え、今は幸せに生きていて死ぬ気などありません。NEEも含め様々なバンドを応援し、生きろと叫ばれ、感情を動かされ、次のライブの予定を立てていくことで生きる理由が出来ました。2年間、次のライブの予定、が枯れたことはありません。
歩く花を聴くたびに「僕は馬鹿だ」と心から思います。あのとき順番を間違えていなかったら今あるすべて違っていた。もう彼のことは好きではなくて戻る気もそうしたいとも思わないけれど、産まれるはずだった子供の事だけは無かったことには絶対にしたくないのです。
私はまだ次の恋愛が出来ていませんが、きっとこれから恋愛をする上でこの経験は足枷になってしまう。きっと誰にも言わずに墓場まで持っていくべきなのだと思います。でも、それは無かったことにする、と変わりない。我儘ですが私はきっと隠し通せません。一度芽生えた母性も、罪のない命も、抱きしめながら生きていきたいのです。
重ね重ね、こんな話をされても困らせてしまうし触れづらいし気まずいし、何なんだよと思うでしょうが、ただ辛かったあの日々のことをやたらと最近思い出すので言葉にしてみました。誰かに話せば、まとまって笑い話にできるかもしれないと思いました。
NEEのライブを見たり、曲を聴いたりすると、あの鬱々とした日々が思い出されて、それらがちゃんと過去になったと自覚できます。ちゃんと過去が救われたから今を生きられているんだと思えます。
私はファンネームで一括りにされるのも、仲間で群れるような事も嫌いで「NEE人」と名乗るは嫌だしファン友達も作っていません。ずっと一対一でありたい、大衆のBGMじゃなくて私の主題歌だ、と思っているような厄介な人間です。捻くれ者なのでストーリーのメンションなどを見ていると「ああ私はファン層に適応出来ないな」と心底思います。それでもNEEの音楽は天才だし、大好きだし、適応できてなくてもライブに行き続けたいと思っています。
今は次のライブの予定も、NEEが叶えていく夢の続きを目撃することも、他にもたくさん、生きる理由があります。本当に感謝しています。キャッチーで中毒性のある音に不釣り合いなほど現実的な痛みに寄り添う歌詞が、私は大好きです。長々と大変失礼致しました。陰ながら、捻くれ厄介野郎ながら、これからも応援しています。
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こんなことをぶつけられても受け取れないはず、顔も名前も知らない相手だから聞き流してくれて構わないからすべてを誰かに話してみたかっただけだった。
そんな身勝手に対しても、
真摯に向き合って返信をしてくれた。
死後、一部のファンから「生前こんなことをしてくれた」という個々の思い出がぽつぽつと浮き上がってきた。
どれもこれも温かいものばかりで、きっとあなたの人間性はほんとうに透き通っていたんだなと思った。
今更、どんな思いでいたのかが知りたくて当時のインタビュー記事を読んだりしている。
されど結局なにも見えない、見えていたところで変えられた事実はきっと何もないが。
6/23、49日を前に決行してくれてありがとう。
伝説を見届けにゆきます。