あと9年7ヶ月で死ぬならどこまで残酷になるのか
来年の占い本が書店に出揃った。
市井の占い本では、私の来年は「最高の一年」て言ってる一冊と「もういいおめーは何もするな」て言ってる一冊に見事分かれた。本当、占いてなぁ……
私はもちろん「最高の一年」て言ってる方を信じる。「占いはいい結果だけ信じる」派閥。
10年で死ぬ間の最高の一年なら、そうするために仕掛けるべきモンもみえてくるってもんだ。
11月20日(木)
限界集落の実家に、四国土産を届けに行く。
酒を絶った親にすだち酒を贈ってしまった。お守りも買って来たのに実家に持ち込み忘れた。
土産で好評だったのは、切幡寺でお接待として置いてあったすだちだった。すだちはすっかり皮が硬くなってしまっていたが、むいて飲み物に入れればまだまだ清涼感を与えてくれてた。
実家周辺では、相変わらず歩いている人間を見なかった。限界集落は静かで、眠気に合わせて落ちていく瞼を思わせる。
11月21日(金)
ほぼデザインの課題をこなして1日が死ぬ。
理想としてはそういう1日をがつんがつんに増やしていきたい。
他社さんからエンジニア案件の打診の電話で起こされたので、ありがたく話を進めていただく。
11月22日(土)
土曜は一般企業はお休みなので、本当に心ゆくまで『ぬるま湯デザイン塾』を進める。
この講座、
「こういうこと、私ひとりだと一生やらないからな」という内容が組み込まれているから受講している。特に「受ければデザイナになれますー!」という講座ではない。
そういう内容で、約40万円受講期間は3か月限定、ひとつきあたり13万払う計算。安い買い物じゃないので誰にも勧めないけど、ベクター系ツール滅びろと思っていた私には、今のところとっても有用。
ベクター線との和解が進んでいる。ベクターは、話してみるといい奴だった。
フィードバックをもらえて自分の至らないところを知らせてもらえるのも、ありがたい。この歳になると、「おめーはココが至らねぇ」と言ってくれる相手はほぼいなくなる。
講師がフィードバックにわざわざ動画を撮ってくれるのもありがたい。しゃべりながら画像編集ソフトを扱うのは、大変なことだ。
講座の代表講師氏とは、険悪な個人カウンセリングをかましている。率直にウマが合わない。よく受講させていただけてるよな、と思う。
11月23日(日)
四国土産を渡しに、昼は畏友とお茶をした。
書店時代からお付き合いいただいている同い年の彼女は、私が尊敬する人間のひとりだ。逆境にあって自分を立て直すのがうまく、ノーを伝える時に角を立たせず、話題のチョイスに品がある。
私にないものばっかり持ってるので、延々喋っていられる。
南北線の終端にある公園でだべり、「帰りは本屋『曲線』さん行ってみようと思う」と話したら、そこから「チャリの畏友 V.S. 地下鉄と徒歩の私」でどちらが早く『曲線』さんに着くかの勝負が始まった。
駅出てから書店まで、いい年こいて全力疾走したにも関わらず、私は負けた。地下鉄に乗る前、余裕こいてトイレに並んだのが敗因だったように思う。
大人になると、こんな些細な競争ごっこで遊ぶ機会はぐっと減る。そんな遊びしなくても、社会て日常が競争だから。
本勝負には負けたので、次回会った時、畏友には茶ァを一杯おごることになる。清々しく負けて、楽しく競えた。最高だった。
11月24日(月)
日付が変わる前、『アンダー・ザ・ドーム』の4巻読み切ろう、と思って寝床に入ったら、LINEグループで日付をまたぐ深刻めな話合いが行われていた。
うちのiPhoneは消音仕様なので、私がLINEの惨状に気づいたのは100トークくらい話が進んだ後だった。
10人ほどいるグループメンバーは仲良しこよしなので、通知数見た時「おおおおおい何があったとうとう誰か死んだか」とアプリを開いてみたら、単に「友達に人間関係の相談されたんだけど、知恵かしてくれない?」という内容だった。
しかしこれがまた酷かった。相談が、とかグループメンバーが提案する解決策が、とかでなく。
相談案件詳細は省くが、トークルームで巻き起こっていたのは、要するに精神病者差別だった。
友人が差別している現場を見たら、大人はどう行動するものだろう。
しかも差別者が1人でなく複数だったら?
ほかの友達が傍観してたら?
相手が、毎月なんやかんや連絡とり合うグループだったら?
最悪なことに、現場がLINEっつうテキスト形式で電話もできない真夜中だったら。
最終的に責任が向かう先が、自分でなく言い出しっぺの友人の時は。
発言て責任、つきまとう。
「この年数生きて、私はまだこんな事への対処の仕方もわからない。一体何して何学んで生きてたんだ」そういう無力感を味わうことはままある。
前回無力を舐めたのは「30年生きてトイレの個室、後から入ってきた同僚連中が手洗い場で別の同僚陣の悪口を言い出した時」だった。どういう顔して個室出ていったらいいかわからなかった。今もわからん。
当時は30年生きてこの仕上がりか、と思いながら個室で嵐が過ぎ去るのを待った。が、あれから時間が経って、私は自信をもって「人格がクソ」をやっている。今回は、とぉ~~~~~~まわしに婉曲ぅぅぅぅぅぅぅに「あんたたち見苦しいけど、いいの?」と言う。
アメリカでは「レイシスト!」と呼びかけると直球で社会的人格否定になる。差別意識は人間本来の持ち物だから、持ってる分には自然だし、どこまで表明するかの問題、ていうのが日本の残酷で優しいところだ。
実際「ここでLINEにコレ書いたら一人確実にプライド傷つく人がいるなぁ! 彼女の意見にダメ出しするわけではないんだが、十中八九彼女はそう受け取らないだろうなぁ(長年のつきあいから)!! あいつプロのゼロヒャク思考だからなぁ(それも人間の魅力のひとつですよ)!!」
とわかっていて、態度表明をさせてもらった。案の定荒波が立った。
どっこい私の友人は精鋭しかいない。人格クソの友人は賢者しかなれない、つまりグループメンバーは皆賢者だ。
会話の濁流みたいなグループラインのなか、私が必要最小限のフリック入力説明連投連投説明連投+質疑応答をやっていれば、波を鎮める努力は友人達が汲んでくれる。持つべきものは友だけど、彼女らにとって私の方は持つべき友でいられてるだろうか。
グループメンバーが基本的に賢明なおかげで、無難に、非常に無難に話を軟着陸させてくれた。
大人の仲良しこよしってこんな感じ。
みんな仲良くやるために色んな工夫をする。ありがたい。
朝になって、「プライドは傷つくだろうなぁ」と思ってた彼女から、「ほとぼり冷めるまでグループの通知切るね」と連絡があった。
大人の対応、頼もしい。
彼女ならTwitterなり陰口なりで発散させるから大丈夫だろう。私は彼女に「あんたのこと余所でこうこうこのように言いました」報告をもらったことがあるので、そこは信頼している。
友達の在り方も多様だ。陰口くれぇ言われる性格してらぁ、と思った上で、友人を信じる勇気はあるかね。加齢ってそういうことだ。
人間、なろうと思えばどこまで~~も残酷になれるもんなんで、どこでライン引くかは、予め明確にしてから、今回は、やった。
一昔前、精神疾患者が差別的に扱われてたのはただの事実。それが患者側を傷つけて病状をより悪化させる一端になってたのも事実。
私は家族に精神病者が二人ほどいるので、「そういう差別、あるよね~~」とニコニコ流せる立場にない。立場は選べるもんだけど、ニコニコ流す方の選択肢は、近眼だから、見えてない。
「具合のわるい部分は流すことも友情」という大変まっとうで大人なタイプの人とは、だから長続きしない。
今回、大人の対応として正解は「お気持ち表明しない」ではあった。相手が友達じゃなきゃ、そういう対応もしたかも知れない。