「●●女子」について、「リケジョ」が思うこと
私は理系の修士を卒業していて、「リケジョ(理系女子)」と言われたり言われなかったり…してきました。
少し思うところもあったので、メモ書き程度にまとめてみます。
※「どう考えるべき」、「表現をどうすべき」といった内容ではなく、自身の思ったことをまとめただけのものですのでご容赦ください。
自身の経験
まず、私は「リケジョ」という言葉が苦手でした。この言葉を初めて聞いた時から苦手な言葉だと感じ、自分では使わないようにしてきました。
「リケジョ」という言葉が世に出回ったのは、ちょうど私が中学~高校生のころでした。
私が「リケジョ」と言われる回数が一番多かったのは、おそらく母からです。
両親ともに文系だったので、私が理系という進路を選択したときはかなり両親を驚かせましたし、特に母は悩んだようです。
「女の子なのに、男の子ばっかりの理系でやっていけるのかしら…」
進学してからも、母にはたびたびそういったことを言われました。
あるときは、知人への紹介の場面で。
「うちの子はリケジョなんです~」
あるときは、何気ない親子の会話で。
「ねえ、パソコンの調子がおかしいから見てもらってもいい?リケジョだから、こういうの強いよね?」
ここでポイントなのは、(当然ながら)母には一切悪気がないということです。
知人への紹介に至っては、もはや自慢の域です。
うちの子、女の子なのに理系なの、すごいでしょ、というやつです。
なので、私は母に「リケジョ」という言葉が苦手だと言ったことはありませんでしたし、おそらくこれからも母はわたしを「リケジョ」と呼ぶことと思います。
「女の子なのに」は女性蔑視なのか
「●●女子」はなにが問題なのか?
これは一応記しておくと
「女の子なのに」
というニュアンスが、「●●女子」というカテゴライズにおいては強調されており、女性蔑視に当たるという部分でしょう。
では本当に「女の子なのに」というのは女性蔑視に当たるのでしょうか。
例えば「理系女子」について考えてみましょう。
学部にもよりますが、たいてい理系は女性の比率が圧倒的に少ないです。
8:2といったところでしょうか。
これは「客観的事実」です。
女性が能力的に劣っているとか、女性が理系のキャリアを歩む上での障壁とか、そういったことを言いたいわけではなく、事実として女性は母数が少ないです。
母数が少ないと、いい意味でも、悪い意味でも、目立ちます。
これは男性にも起こりうることで、男性の割合が少ない学部においては、男性も目立つでしょう。これも、男性が能力的に劣っているとかではなく、客観的な事実です。
そして、(もちろん必ずしもそうではないと思いますが、)
母数が少ないと、人は不安になるものだと私は思うのです。
「なんで理系の学部には女の子が少ないんだろう」
「女の子なのに、理系って何かすごく損なのかな?」
こういった具合です。
「●●女子」による勇気づけ
なので、今回問題の企画(※「美術館女子」についての企画)についてはあまり存じ上げませんが、本来であれば、「女子でも大丈夫!」という意味で、「●●女子」という言葉が使われているはずなのです。
しかしどんなに発信側が勇気づける意図でも、受け手側は不快に思うわけです。
(私の母に悪気がなく、かつ、私にはそれはわかっているのに、私が不快になる、というように)
そしてそれは、母数の少ない、それによっていわば「困難が発生しやすい」状況において、「その中で実際にやってみたけど、女性と男性で実力になんの差異も感じなかった」という、女性の経験値によるものなのです。
この「母数の少なさによる困難な状況」という想定(発信側)と、「それでやってみたけど性別によって能力は変わらない」という経験(受け手側)のすれ違いから、摩擦が生じているのだと思います。
キャッチーな言葉
こういう言葉は、キャッチーでとても使い勝手が良い分、受け手側とのミスマッチが発生しやすいのでしょう。
そもそもキャッチーな言葉には「認知度の向上」→「普及」という二つのステップがあります。
前述の「リケジョ」でいえば、「普及」した言葉です。
「女の子だけど理系」を簡潔に他者に伝えることができ、かつ認知度の高い言葉なので、他者に「あ~。あの、『リケジョ』ってやつか」と関連事項を想起させることができます。
同じような言葉で「イクメン」があります。育児する男性の「認知度の向上」に一役買った言葉です。
しかし、これについても近年「育児に性別は関係ない」という批判がありますね。
(上記の批判があったにも関わらず、今回の「美術館女子」を企画したというのは、炎上覚悟の企画だったのかな、と個人的には思ってしまいますが)
企画のターゲットを考えるときに「性別」というカテゴリーは大変重視されるものだと思いますが、
そもそも美術館利用客の割合で「女性が少数」というイメージはあまり一般的ではないですし、
また仮に「女性が少数」であったのだとしても、認知度の向上のためのキャッチーな言葉に「性別」というデリケートなものをそのまま突っ込んで企画をつくる、ということ自体が時代錯誤なのかもしれません。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?