人間の価値は、絶望的な敗北に直面して、いかにふるまうかにかかっている
「人間の価値は、絶望的な敗北に直面して、いかにふるまうかにかかっている。」
アメリカの作家 ヘミングウェイの格言です。
毎日の生活の中で、少なからず「絶望感」を味わう出来事が起こるものであると諦めております。
「希望」だけを胸に、毎日を過ごしたいと思いながらも、色々なことが起こるものです。
自分自身で解決できる問題であれば、絶望的になる必要がない場合もありますが、他人が関係するような自分自身だけで解決できない問題に直面したとき、「絶望感」が強くなるような気がします。
できるだけ、自分自身でコントロールできるよう、起こった問題を分割し、自分自身でコントロールできるものだけを考えることにしております。
人間、どうしても、自分自身でコントロールできないことに囚われてしまう傾向があるように感じておりますが。。。
「八風吹けども動ぜず」
どんなことがあっても、動じることのない強さを養いたいと思っている。
自分の弱さを実感する度に、そう思う。
今に至るまで、他人が絡むことによって直面する「絶望的状況」の対処方法を模索してきた。
結論は、どのような登場人物がいたとしても、その問題を引き起こしたのは、自分自身であると肝に銘じることで落ち着かせることにした。
その方が、「楽」な場合が多い。
自分でコントロールできる要素を抽出し、それを解決することだけに集中できる。
仮に、「100%自分自身に非がない」と断言できる問題だとしても、それこそ、自分の中に原因があると考える。
ときに、
「あの時、こうすれば良かった。」
「あの時、ああしなかったのはなぜだろう。」
後悔に似た感情を抱きながら、反省点を洗い出す。
「次は、こうしよう。」
「次は、こんな風にしたらどうなるだろうか。」
次を考えることにしている。
多分、人間は、そんな失敗を繰り返しながら、強くなっていくのではないだろうか。
この世に、世の中の誰が見ても、「絶望的な状況」などあり得ないと考えている。
外野は、色々なことを言う。
その色々なことに惑わされることで、自分自身が、「絶望的な状況」と捉えているだけではないだろうか。
深く落ち込んだとき、どうしても気持ちをポジティブには保てない。
もしかしたら、ポジティブに保つための訓練が必要なのかもしれない。
それ以上に、この名言によって感じたことがある。
「絶望的な敗北に直面したときのふるまい」以上に、「絶望的な敗北に直面しない」で済む環境を構築できるに努めることにより、人間の価値が試されるのではないだろうか。
改めて、「八風吹けども動ぜず」
「木鶏」を目指して、精進を続けるのみだと思わされた。