見出し画像

すべての知識の拡大は・・・

「すべての知識の拡大は、無意識を意識化することから生じる。」

ドイツの哲学者 ニーチェの名言です。


自分自身、「知らなくて当然」という世界に長くいたことを憂うことがあります。

「知らなくて当然」なので、知識を拡大する必要はありません。

多分、自分にとって必要ないことは、知らなくて良いというスタンスなのでしょう。


ほとんどの人にとって、世の中のほとんどのことは、知る必要のないことであるという確信があります。

自分の身の回りについてのみ知っていれば、事が足りてしまうのも事実かと思います。


「総論賛成・各論反対」

ある意味、自分に関係ないことは、どうでも良いので賛成、自分に関係あることは、そうはいかない。。。という解釈ができるような気がしておりますが。。。


「賢者は歴史から学ぶ」

自分が存在していなかった過去から学ぶ。

自分に関係のないことから、沢山のことを学べる。


自分が生きている時代背景、登場人物、諸々が同じである筈はないが、歴史から学べることが沢山ある。

少なくとも、賢者は学んでいるのだろう。


最近、強く感じることがある。

「蟹は甲羅に似せて穴を掘る」

人の器は、蟹の甲羅によく似ている。

自分の器の中で解釈できないことに遭遇すると、どのようなリアクションを取るか。

人それぞれで、とても興味深い。


人それぞれの器を大きくしていくためには、知らないことに直面したときの対処の仕方が重要になると考えている。

知らないことに直面した場合、知らないことを「既知のこと」に変えれば良いだけの話。

「知らないことを恥じる」人は、この作業ができない。


「聞くは一瞬の恥、聞かぬは一生の恥」

よく耳にはするが、実行できている人は少ないような気がする。


そもそも、知らないことが露呈されるのは、恥ずかしいことなのだろうか?

そもそも、知らなくて良いことは、あるのだろうか?

よくわからない自分自身の解釈により、知識拡大の機会を損失する方は、恥ずかしいことのように感じる。


自分の目や耳に入るもの、感じるもの全てが、知識を拡大するための材料であると確信している。

知らなかったことを「知らなかった」と認識してからが、知識の拡大作業が始まる。

知識の拡大作業は、「知らなかったこと」を「既知のこと」に変えた後も続く。


「エビングハウスの忘却曲線」よろしく、人はすぐに忘れる。

故に、「既知のこと」を「既知のことのまま」に維持することも含まれると考える。


「知らなかった」ことを認識した後、「知らなくていいや。。。」と考えるか否かが、知識の拡大を可能にするか否かを決めるのだという確信がある。


「知っていることを増やしていく」ことではなく、「知らないことを減らしていく」ことが、知識の拡大なのではないだろうか。


いいなと思ったら応援しよう!