もっとも平安な、そして・・・
「もっとも平安な、そして純粋な喜びの一つは、労働をした後の休息である。」
ドイツの哲学者 カントの格言です。
最近、仕事をしていて感じることがあります。
仕事に限らず、他人との接点により成り立つ事象は、全て「キャッチボール」なのだと感じることがあります。
毎日の作業にて、この仕事のボールは、現在、どちらにあるのだろうか?
自分にあるのか。相手にあるのか。
これだけを考えるようにしております。
現在、自分のところにあるボールを相手に渡す作業。
これこそが、自分のやるべき仕事なのだと確信しております。
もちろん、ボールを相手に渡せばよいだけではなく、しっかりと相手の胸元に渡すことができるかなども求められる内容であると自覚しておりますが。。。
毎日、慌ただしく過ごしていた。
「これをしなければ。あれはまだ終わってなかった。」
片付けなければならない作業を残している場合、気が休まることはない。
「早くボールを渡さなければ。。。」
という嬉しくない気持ちが常駐していた。
今となっては、過去の話になったのだが。
大富豪の習慣が紹介されている記事を拝読した。
幾つかある習慣の中に、「超速で返信する」という習慣が記されていた。
ここでいう「返信」を、メールによる返信に限らず、あらゆることに対してのレスポンスと解釈した。
メールの返信はもちろんのこと、こちらに渡された「ボール」は、できる限り速く、超速で相手に渡すよう心掛けている。
相手がどのような速度でボールを渡してくれるかは、相手の問題。
こちらが気にする話ではない。
そうやって、ボールの現在地を確認して、自分の手元にボールがない状態を創り出すように努めている。
相手にボールを渡す作業を「労働」と呼ぶのでは、と思い始めるようになった。
ゆっくりとではあるが、「先延ばし癖」も解消されてきているような気もする。
「相手にボールを渡す」瞬間は、ある意味「平安」な瞬間なのかものしれない。
メールにて渡す場合は、「送信」ボタンのクリックの瞬間。
ファイルなどのデータ作成の場合は、「上書き」ボタンのクリックの瞬間。
それらの瞬間に「平安」のときを過ごしているのかもしれない。
時々ではあるが、相手からメールなどでのレスポンスがある。
「ファイル受け取りました。ありがとうございました。」
そのレスポンスに触れた瞬間に、「純粋な喜び」を感じることができる。
夜、その日に渡すべくボールを相手に渡し終えた瞬間に、その日の「労働」が終わる。
その瞬間に、「休息」が始まる。
自分の好きなことをするための時間が始まる。
「もっとも平安な、そして純粋な喜び」を感じながらのひと時を過ごすことができる。