途方もない夢でも実現へと前進させることは、意外とたやすい。「そんな馬鹿なことはできない」と誰もが思うことならば、競争相手はほとんどいないからだ。
「途方もない夢でも実現へと前進させることは、意外とたやすい。「そんな馬鹿なことはできない」と誰もが思うことならば、競争相手はほとんどいないからだ。」
アメリカのIT企業共同創業者 ラリー・ペイジの格言です。
「ステレオタイプ」で溢れている世の中で、「そんな馬鹿なこと」と思われることに賛同してくれる人が少ないことは、疑いようのない事実であると考えます。
それでも、「そんな馬鹿なこと」と言われながらも、人と違うことに挑戦し続ける人に対して、敬意のような気持ちを抱きます。
志半ばで、諦めてしまう人が多い中、諦めずに続けた人たちだけが、世の中に様々な変化をもたらし、称賛されるのでしょう。
「不易流行」
世の中には、変わるものと変わらないものがあると謳われております。
「変わらないものを変えずに、変わるものを変えていく。」
これを続けることで、「そんな馬鹿なこと」が、「新たな常識」になって行くような気がしておりますが。。。
誰が、いつ、どこで決めたのかはわからないが、「常識」と言われるものが存在する。
その常識も、人によって、場所によって、時間によって違ったりするが故に、厄介である。
「常識」により、挑戦する気持ちすら失せてしまうこともある。
「常識」により、「常識」的に生きることを「常識」とされてしまう。
この際、「常識」は忘れるべきではないだろうか。
「世の中こうだから。。。」
「常識」を意識しているが故に、誰もが思う「そんな馬鹿なことはできない」を自分自身の思うことになるだけではないだろうか。
「普通に考えたら、無理だよね。」
この逆を考えて、やってみた。
「普通に考えなければ、無理じゃなかった。」
やってみて思うことである。
世の中、こんなことで溢れていると思う。
が、溢れているにも拘らず、溢れているという「常識」は存在しない。
何かを始めて、進めて行く過程で、「普通に考えない」を道標にすると、かなりの確率で、未知との遭遇に恵まれることがある。
「多分、他の人は知らないだろうなぁ。。。」
と思える結果に恵まれることがある。
「「そんな馬鹿なことはできない」と誰もが思うこと」を積み重ねていくと、自分の言動が、「「そんな馬鹿なことはできない」と誰もが思うこと」ばかりになっているのに気付く。
それに気付いたとき、それまでとは全く違う世界にいる感覚になる。
実際にどうなのかは、わからないが、「常識」を基にした世界から見える景色とは違う気がする。
「実現へと前進させたい」と思っている「途方もない夢」は、「そんな馬鹿なことはできない」と思う誰かが感じる「途方もない夢」である、実現へと前進している本人にとっては、「途方がある夢」なのではないだろうか。
この名言により、心の持ちようによって、「途方もない夢」は、「実現可能な夢」と捉えることができるような気がした。