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小説 黄金風景(読んだ方、できれば感想いただければ幸いです!)
広島市民球場のバックスクリーン裏に建っている青少年センターというところで我々はいつも演劇の稽古をしていた。
初めてそこを訪れたのは高校一年生の時だった。演劇部に入った私は、3月に広島地区の高校演劇部たちが集って一本の芝居をアステールプラザで上演する、合同公演が恒例になっていて、稽古もその青少年センターで行われていた。毎週土日に、チンチン電車に乗って原爆ドーム前に降りる。原爆ドームの向かい側には広島市民球場もあるのだ。早朝、青少年センターに着くと「おはようございます」「おはようございます」と演劇部ならではの腹式発声による大きな高校生の若い元気のよい挨拶が交わされる。とても清々しい光景である。
私の所属する広島県立H西高校の演劇部員は全部でも6人しかいない。他の高校も演劇部の人数はそんなところで、広島市立の4校の演劇部の人数は設備や顧問の先生が演劇に力を入れているせいか20人くらいいる。しかも女子が圧倒的に多い。合同公演では全部で15校くらい参加するので100人以上の高校生がいることになる。女子が圧倒的に多いというのが大事なところである。つまりそこで我々男子部員は女子との出会いが期待されるのであり、中にはそれ目的で参加する不純な男子部員もいるくらいだ。今年は”赤ジャージ軍団”と呼ばれているSヶ峰女子高校は、一年生でとびっきり可愛い女子部員が入ったとのことで、男子生徒の間では密かに噂になっていた。
今年、合同公演で上演される演目は『森は生きている』。メーテルリンクの『青い鳥』と肩を並べるほど有名なロシアの童話劇である。早速初日に出演者のオーディションが行われることになっていた。私はもちろん俳優志望で、”1月の精”という長老の役に抜擢された。女子が多いので当然女子の競争率は高くなる。可哀想だが仕方がない。スタッフも女子が必然的に多くなる。主人公の少女の役をゲットしたのは、あの噂のSヶ峰女子校の女子で名前を高山さんというらしい。台本を読み直してみて、私はちょっと心の中で舌打ちした。私の”1月の精”の役とその少女とのセリフの絡みがほぼなかったからだ。
しかし、セリフの数は多い。覚えるのが大変だ。でもなんとしてもカッコいいところを見せつけたい!これから頑張って女子とも仲良くなりたいものだ。私は、演劇という虚構世界の中でしか活躍する活路を見出せなかった内気な高校生だった。もう30年も前の話になる。
稽古をしているうちに、他校の演劇部員の生徒とも仲良くなり、稽古終わりに食事に行ったり、原爆ドーム近くの河原にて数名で、当然違法だけど、お酒も飲んだりしていた。いつの間にか仲の良いメンバーが決まってくる。私を含め男6名と女子2名の8人がメンバーとして定着した。メンバーのうちの一人は俳優の唐沢寿明に似たイケメンで高校生とは思えないほど大人びていて当然女子にもモテ、ラブレターをたくさんもらっていた。なんとあの高山さんからももらったらしい。彼らの中で、私は”長老”というあだ名をつけられた。高校生の頃から、30年経った今でも”長老”というあだ名で呼ばれることになる。
『森は生きている』の稽古は順調に進んでいった。1月2月は学校があるので、土日だけ。3月は春休みになるので2週間ぶっ続けで、本番に向けての稽古がなされた。楽しい時間はあっという間に過ぎていくものだ。3月の終わりに『森は生きている』の本番を迎え、好評のうちに幕は降りた。先生たちには内緒で、打ち上げをしようという話が持ち上がっていた。4月に入り、広島市中区のカラオケボックスを貸切り、打ち上げが秘密裏に三〇人くらいが参加して行われた。もちろん、ここでも、お酒が入っていた。九〇年代のJ POPを中心に皆、それぞれの歌を歌いしゃべりとても楽しいひとときだ。打ち上げを終え帰ることになった。私はチンチン電車で、終点の宮島口まで帰る。同じ方面に帰る生徒は5、6人いただろうか。鈍行なので、帰り着くまでかなりの時間がかかる。一緒に帰る方面の生徒は一人、また一人と家の近くの駅に降りていく。いつの間にか、私と市立F高校の女子生徒二人になっていた。「どこまで帰るの?」と私は聞いた。「宮島口まで」と彼女は言った。
「じゃあ同じ終点までだね」と私は言った。彼女は少し緊張した面持ちで「うん」と答えた。とりとめのない話をした。彼女と話すのはほぼ初めてだ。彼女はキャストではなくスタッフで装置担当として参加していた。「長老さんの演技、とても良かったですよ。」と彼女は言ってくれた。少し沈黙する時間があった。なんだかとても長い時間のように感じた。そうこうしているうちに、電車は宮島口駅まで着いた。そして彼女と無言で改札口を出た。そして、帰り道のコンビニの横まで来た時、私の手を彼女が突然握ってきた。私は驚いて、「どうしたの?」と聞いた。彼女は震えるようなか細い声で私に「付き合ってください」と言った。