一発書きチャレンジ_6「1976年」
昭和生まれ、平成育ちは、東京か否かで大きく異なる。
この「世代論」のような話について、もしも私個人のエピソードを中心に論じていくとしたら、ここに「ど田舎育ち」もかけ合わせないと、成り立たないと思う。
そのくらい、都会(特に東京)と地方(特にど田舎)の格差といったら、大変なものだったし、そこを一般化して語るのは、どうしたって難しい。
10代の多感な時期にインターネットもスマートフォンも無く、TVから流れてくる東京のコンテンツにリアリティは無かった。(原宿のタレントショップとか?)
それでも発売日から数日経ってやっと並ぶファッション誌の全てのページに目を通し、年に数回映画館で観る映画や、妙に装丁がおしゃれだった村上春樹の小説を手にして数ページ読むことが、素敵なオトナになるための必要条件だと思っていた。尚、私はヤンキー道を通っておらず、どちらかと言えばサブカル寄りの10代だったと思うけれど、私の育った街は、電車も通っていなかったから、基本的には都会は家族と行く所。故に、自立は遅かったように思う。
タイトルにある1976年は、まさしく私が今生に生を受けた年のことで、この年にこの国では183万2,617人出生している。
※2022年の出生数は77万747人
この年は辰年で、ちょうど今日も実家で流れていた「徹子の部屋」の放送開始も、1976年2月らしい。
「76(ななろく)世代」という言葉がある。
この記事は2010年のものなので、「1976年前後に生まれ、現在30代半ばの76世代」と書かれていますが、今年47歳ですね。
前半に書かれているような「高いPCリテラシー」や「PCが精神安定剤」については、この世代の一部にかかる特徴だとしても、後半にある「バブル崩壊」や「就職氷河期」については、その影響を受けていない人はいないんじゃないかと思うし、良くも悪くも多くこの世代の人々のターニングポイントとリンクしている事は、多分間違いない。
私は今でも同世代に会うと、大げさだが「よく生き延びた!」とハグしたくなるような気持ちになることがある。(もちろん相手による)
平和な時代ではあったけれども、とにかく必死にサバイブしようと藻掻いていた記憶しかない。(もちろん、どの世代との比較で論じるかによって、このあたりのニュアンスも変化すると思います。)
「世代の谷」は、あると思っている。
もちろん、私の友人にはものすごく年下もいるし、ものすごく年上もいる。
「世代」というでかい主語で語ることは、ナンセンスだと理解もしている。
それでも「世代ごとにその常識は異なる」という前提で、出会う一人ひとりに対して少し能動的な理解を示すことに意識的でいなければ、間違った影響力を行使したり、逆に溝を作ってしまうことは、わかりやすい落とし穴としてあちこちに存在しているとも思っている。
「私たちがあなたの年の頃は、朝まで仕事をしていたものよ」
とか
「最近の子はノートではなく、ホワイトボードをスマホで撮るのよ」
とかとか
「◯◯さんは、すぐ電話をかけてくる」
とかとかとか
特に、大人になって何かしら影響力を持ってしまう社会的な、もしくは家族的な立場で、その「谷」を無視してこちらの常識を振りかざし、影響力を行使しようとする事は、多分多くの場合意味が無い以上に、有害だ。
「リテラシーを高める」領域は、デジタルについてよりも、もしかしたら世代についての方が、社会にとって意義があるのかもしれない。
「歴史観」と同じくらい「世代観」を持つということなんだろう。
あなたのご先祖さんが一人でも欠けていたら、今ここにあなたはいない。
今日は父の初盆で、法要の終わりに住職が語ったのがこの言葉だった。
連綿と続く人の営みはそもそも有り難いもので、今生たしかに受け継いだ沢山の有形無形のものたちを、私は私の人生の最終地点に向かって、どのように使い、どのように収めていくべきかを、そろそろ考えてもいいのかもしれないと、そんな事を思った。
今年は戦後78年の年で、1976年時点で半数いた戦前生まれの人たちは、まもなく1割を切る。
世代が先細っていく未来の景色を、悲観ではなく、希望の色で描いていきたいと切に願う。
※「一発書きチャレンジ」は、
私個人の文章を書くリハビリで、何の準備も、構想も、下書きも無く
文字通り「一発書き」で書きなぐったテキストです。
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