心の中にある、物足りなさと防衛センサー。
高校のときの、英単語帳や参考書。
もう何度目かの断捨離だけど、今回も全部は捨てられず。
付箋がやたらと貼ってあるのが主に残った。
開いても内容はほとんど覚えていない。
ただ、渡り廊下のすぐ近く、極寒の自習スペースで、毎日一人で始業前に勉強をしていたときの景色は覚えている。
今よりあの頃の方が、先の見えない未来にも冷静に向き合えていたような気がする。
(とは言っても、二次試験直前にはすっかり諦めモードに入ってろくに勉強できなかったんだけど。最後の最後に絶望して半分投げ出す辺りは、昔も今も変わらない悪い癖だと思う。)
100%気力に満ち溢れていたわけでは決してない。
それでも、何故あんなにも黙々と勉強できたんだろう、
という疑問が定期的に頭によぎる。
これは割と単純な話かもしれなくて、受験勉強は答えがある程度はっきりしているものが大部分だから、自分のしなければならないことがわかりやすかったからっていうだけの可能性がある。
(解いて答えを見直して、理解できてなかったことを理解して、覚えてなかったものは覚える、そしてまた解く、というような。)
正直記憶が朧げなのでこのくらいの推測しかできないのだけど、そんな過去のことをわざわざ気にしているのは、
「私が”頑張る”ために必要なものは何なのか」というのが最近ずっと気になっているから。
ちなみに「頑張る」という言葉については、
好印象をもっていて積極的に使いたいと感じている人と、苦しい印象をもっていてできれば使わずにいたいと感じている人の両方がいると感じていて、
なんなら私は後者の目線で記事を書いていたりする方なのだけど、
ここでの「頑張る」は、「自分を抑圧するようなことはせずに、自分が出し”続けられる”最大出力を出す」…というようなニュアンス。持久走で、倒れたりしない程度で、フォーム保って走り続けるようなイメージ。
(運動能力が低いのでイメージの域を出ないけど…。)
詳細に表現しだすと長くなるから、結局「頑張る」を使ってしまっている。
まあ、自分の意思で自分に対して使う分には良いかな、と思っている。
それで、「私が”頑張る”ために必要なものは何なのか」という話。
自分が「”頑張ってる”なと感じる人」を想像してみると、一番に思い浮かぶのは「心から没頭できるものに出会って頑張っている人」。例えばアーティストの方とか。
本気で熱中できるから、自分を殺さず頑張れているのだろうと思う。(苦悩したり無理をしたりしている場面もあると思うけれど。)
じゃあ自分は受験勉強をしているとき心から没頭できたから頑張れたのか、と考えると、それはしっくりこない。
古文の物語にも因数分解にも、特に心惹かれていたわけではなかった。
となると、「自分にはこれしかない、というものを見つけて頑張っている人」の方に近かったのだろうか。
「心から没頭して頑張る」とそんなに変わらないような表現だが、
個人的に「没頭して頑張る」は感性由来のもの、「これしかない、と頑張る」は決意由来のもの、というイメージ。
例えば、故郷を飛び出して上京し、背水の陣でモデルデビューを目指す…みたいな?
…ここまで書いて思ったけど、「没頭して頑張る人」と「これしかないと頑張る人」に分類されるわけではなくて、
「没頭して頑張る状態」と「これしかないと頑張る状態」があって、1人の人の中でも時によって状態が変わる、と言った方が現実的かもしれない。
ともかく、当時の私は良くも悪くも狭い視野だったからこそ「今の私にはこれしかない」と決意して、第一志望合格目指して頑張れていたのかもなと思う。
今では「入る大学の偏差値がどうだろうが、それで私の絶対的価値が決まるわけでは全くない」と気付いたけど。
大学生活を通して色々経験した結果、「絶対〇〇しかない」「絶対〇〇せねば」なんてものはそうそうないと気付き始め、そのおかげでやっと最近心が軽くなってきた。
けどその一方で、「本気で熱中する」とか「自分にはこれしかないと覚悟を決める」ことに抵抗を感じるようになった。
省エネ生活をしても結局どこか物足りなく感じている自分がいるから、それなら何かに夢中になって頑張ってみたい。
でもそうしようとすると、どこかで心の防衛センサーに引っかかる。
どうしたら防衛センサーが作動せずに「頑張れ」るのか。
書いてる間に色々と考えが混ざってきてるし、この文字数になってもしっくりくる結論が出てこない辺り、まだまだ自分なりの答えに行き着くには遠いらしい。
まとめ
長い長いマラソンを走り抜くような、そんな気持ちを感じてみたい。
それは久しぶりの体験になるかもしれないし、
もしかすると初めての体験になるのかもしれない。
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