タメ語人格、敬語人格
話す言葉で人格は異なる。
日本語を話すときと英語を話すときの人格は違うという話をよく聞く。何も外国語である必要はなく、タメ語と敬語でも同じ。
私は、仕事では圧倒的に敬語を使う機会が多い。結果、敬語は私の仕事人格をつくり出した。一言で言えば、合理性を追求する人格。
一方、タメ語の自分はどうだろう。モラトリアム延命期間中の20代の自分が色濃く反映されている。それに地元の荒々しい言葉遣いが拍車をかける。 極論で常識破りのことしか言いたくないような変わり者風の人格。
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