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ただの偶然か、それとも必然か。

熊野の旅を行ったのも、たまたまだった。
生まれてから、殆どの時間を三重で過ごしていけど、熊野古道なんて全く興味がなかった。

スペインの巡礼展を見て、まずは熊野で練習しようというくらいのノリだ。
最初は、伊勢や大台あたりは行かなくて、ツヅラト峠くらいからでいいんじゃないかと思っていた。

それが今は、新宮の先にも行きたくなっている。

「ゴールおめでとう」「いいことあるよ」って沢山の人が言ってくれるけど、いいことやご褒美、人生観の変化を期待して歩いていたわけでもない。

でも、今じゃないいつかに答えはこれか!って思っていると思う。

私は以前、外国に住んでいたことがある。その時に、学校で初めて声をかけてくれた日本人がいた。にこやかで、ハキハキとしていて素敵な人で、その後仲良くなった。1年経ち、彼女は帰国し、また違う国へ。そして今は国際結婚をして今はアメリカに住んでいる。お互いヨガをしていることもあり、SNSの投稿に時々コメントを残したりしながらつながっていた。昨日彼女が「熊野とシャスタをつないでヨガをする」とイベントシェアをしていたのだ。これは何かあるぞ!と申し込むことにした。

なぜ、今このタイミングにでこんなお知らせが来るのだろう。熊野のヨギーニ、まだ会ってはないけれど、きっと会う事になる気もしている。

20年前に、今はアメリカに住む彼女が私に声をかけてくれたのは、熊野へと私をつないでくれるためだったのか。

ヨガの語源は、「つなぐ」だ。

熊野に行った偶然は、いつか必然だったと思う日が来るかもしれない。そんな日がふと訪れることを期待せずに待っていたい。



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