25/1/1 📚『岡本太郎 神秘』

本書の概要

編者:岡本敏子、内藤正敏(プリント)
撮影・文:岡本太郎
発行年:2004年

岡本太郎と写真撮影

 1957年から63年、この時期の日本の写真界は激変期で、木村伊部衛、土門拳、濱谷浩らがリアリズム写真の名作を生み出していたところに、石元泰博、奈良原一高、東松照明、細江英公、川田喜久治などの斬新な感性をもった新人が登場していた。岡本太郎はこのような中で、青森から沖縄まで日本を回り、写真を撮った。この活動には、青春時代をパリで過ごしていた彼が、改めて日本を再発見したいという思いがあった。
 この本にまとめられている写真には、2つの特徴がある。1つは、パリ大学でマルセル・モースから習った民族学(文化人類学)をベースとしている点である。例えば秋田県の「なまはげ」について、日本では折口信夫の「春来る鬼」以来、なまはげ=鬼ということが定説になっているが、岡本太郎は「本当に鬼なのか」という疑問を投げかけ、地元の成年式や秘密結社と結びつけて捉えなおした。2つ目に、客観と主観の両方の眼を使っている点である。例えば女性について、不当に無視してきたという日本の歴史に気づいた後、今度は実際に民衆の中に入り込んで理解しようとした。
 このプロジェクトは、岡本太郎のその後の創作活動にも影響を及ぼした。彼の絵画は、50年代初めまで具象性を持っていたが、プロジェクト終了後の60年代になると、宇宙に生命が舞い上がるようなエネルギーが表現されるようになった。(調べてみたところ、渋谷駅の壁画「明日の神話」は1968年頃の製作である。)

本書製作の経緯と工夫

 本書に掲載されている写真は、岡本太郎が撮影したネガフィルム(反転した形式の画像情報源のようなもので、これがあれば何度でも現像できる)をもとに、内藤正敏が編集・プリントしたものである。岡本太郎は生前に約2万枚のネガを残したが、本格的な暗室作業(暗室で現像液を使用して行うプリント作業)や写真の選出を行わなかった。写真集も出されたが、ネガを忠実に再現するのみであったため、内藤氏は「自分が編集すれば、収蔵庫で見たネガ(現物)を見た時の感動をもっと伝えられるはずだ」と考えた。そこで、岡本敏子氏(著作権継承者)の許可を得て、岡本太郎のネガに、内藤正敏の編集を加えて、本質的な良さ(思想)が伝わるような写真に仕上げた。 また、写真横の文章(岡本太郎のもの)は写真の説明としてではなく、写真と対決させるように配置された。このような工夫により、本書は力強く、新鮮に岡本太郎の思想、感覚が伝わってくるような構成となっている。

所感

 『自分の中に毒をもて』を読んでから、「岡本太郎」という字を見るととりあえず読んでみるようにしている。そこで、写真には疎いが本書を手に取り、ペラペラとページをめくって写真と文章に目を通してみた。しかし、1周目では何を伝えたいのか正直全くわからなかった。
 わからないなりに感じたことだが、岡本太郎は繕っていない、現代と反対の、自然と混ざり合った人間社会に惹かれていたのかな、と思う。また、それぞれの写真から人間、日本人のパワーを感じた。人間もしくは人間の作った文化が被写体となっている。写真に写る人々は、カメラに目線を向けたもの、向けていないものに関わらず、日常にありそうな自然な顔つきをしている。モノクロだからか、どっしりとした感じがある。
 巻末の説明(前章に記載した内容)をみて2周目を読んでみると、少し理解が進んだ。文章は、写真の説明ではなく「対決相手」。それを前提とすると、文章について、「岡本太郎が感じたそのままの感覚、そのままの言葉」として、すっと受け入れることができたし、完全には理解できなくても、なんとなく納得させられる感じがあった。写真をみてまず、自分の素直な言葉で表現してみて、岡本太郎は何を感じるのか、と文章に目を移すのも面白かった。わからないことがイライラではなく、面白い時間となった。また、1周目は「わかる」ことに焦っていたが、純粋に写真と文章のエネルギーを感じることができた。


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