塚田、毎日noteやめたってよ。
投稿ボタンを押す寸前で、午前零時になってしまった。
私の毎日noteは約60日で終わった。投稿ボタンを押すと、連続投稿日数のポップアップではなく、連続投稿週数のポップアップが表示された。
投稿直前にどうしても手直ししたくなって、記事を直して公開設定ボタンを押したものの、もたついてしまって午前零時に投稿されてしまったのだ。
連続投稿がストップしたのは残念だけど、特に悔しいでもない、淡々とした気持ち。実は少しホッとしていたりもするのだ。
これには3つほど理由があった。
仕事が立て込んでいて、落ち着いて記事を書くことが難しくなってきたのがひとつめ。ふたつめは書きたいことが増えて、記事の長文化したこと。そしてみっつめは、自分自身で納得した内容の記事をあげたいなと思うようになった、というものである。
ふたつめに関しては、なにか書くにしても、140文字のつぶやきではとても足りず、毎回のように文字数オーバーして無理やりカットするということが増えた。みっつめに至っては、いつの間にか無理やりにでも投稿するネタとなってしまった。今まで撮りだめたの写真をアップできたのは良かったが、それ以上のことはない。
今年、できるかぎり続けようとした目的は、その日その時、私自身が何を思って、考えて、感じていたかを数年後に振り返りたかったからだ。しかし、連続投稿数が増えると、いつの間にか毎日続けることが目的にすり替わってしまった。
本末転倒とはこのことだ。
やっつけ仕事は伝わるもので、写真の投稿でも「これは投稿したい」と思った写真と、ちょっと手を抜いて投稿したものでは、見出し画像の採用数も閲覧数も全く違う。
記事にしても、ダラダラと書いたテキストと、伝えたいことがしっかりしているものでは閲覧数やスキの数が違う。
気持ちが淡々としているのは、それをうっすらと感じていた自分がいたからだ。毎日続けることが目的じゃないんだよ、noteを通じて私という人間と読者の方たちが、創作したり、作品を見て楽しむのが目的なんだよ、と。
年初に比べて、公私共にスイスイ文章がかけるようになったのも、これまで毎日noteを続けていたおかげだ。以前のように、少し書いてずっとほったらかしというのもも良くないが、本来の目的にそって、できる限り毎日続けようと思っている。
数年後の私は、この記事を見てどう感じるだろう。楽しみだ。
この記事が参加している募集
基本的に全文見れますが、投げ銭と同じ扱いにしてありますので、作品や記事が気に入って頂ければ、ぜひサポートお願いいたします。