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【記事】Conte Bleu [Épilogue la mer.]



 この記事は「Conte Bleu 西の砂浜の町」の後日談となります。本編を読んでいなくてもお読みいただけます。





 薄青い空が広がる冬の日、フランの丘を訪れる。
 前回訪れた時よりもぐんと風が冷たく、寂れた町の時間の流れを表しているようだった。電車を乗り継いでようやくたどり着いた西の砂浜の町。私は今回もバスの連絡をするのを忘れてしまったので、最寄駅から、徐々に強くなっていく潮の香りを感じながら町を目指していた。

 私が再び西の砂浜の町を訪れたのは、青年セリナに会うためである。

 あれから青年からは度々手紙が送られてきている。西の砂浜の町を訪れたときに彼から聞いたことを記したConte Bleuは彼の元にも届いたようで、発売以降花を求める人からたくさんの手紙が届いたと聞いている。
 祖父から受け継いだフランの丘で花を育てるだけだった静かな日々は終わり、花の提供に多忙な毎日を過ごしているようだ。ヴィルニーシェルにある花屋を訪れた時にセリナの名前を見かけることが多くなり、彼の名前と彼の育てた花は、多くの国民が知るものとなった。Conte Bleuは私が予想していた以上に多くの人に届いたようだ。

 彼が送ってくれた手紙からは微かに花の甘い香りがした。人の訪れることのなかった町で暮らす青年と街を繋ぐきっかけになれたことで、私は、私が言葉を綴る意味を感じている。


 近況を知らせてくれた青年からの手紙をうけ、不慣れな電車を乗り継いで西の砂浜の町へとやってきた。数カ月ぶりに再会した青年は、以前よりも明るい表情で出迎えてくれた。服装も背丈も何も変わらない青年から、素朴な印象は抜けない。この町で暮らす唯一の若者、花を愛する青年は、今日も祖父から受け継いだフランの丘で花を愛でている。

 夏に訪れた時よりも芽吹く花の数は減っている、冬の時期はいつもよりも色褪せるようだ。
「人々がファーコートを羽織って寒さをしのいで、動物たちが深い眠りにつくのと同じで、花も冬を越えるために一度花を閉じるんです。暖かくなれば眩しく感じるほど色鮮やかに咲いてくれますよ」
 そんなフランの丘をなぞって視線を奥に向ければ、水平線まで伸びる広い海が小さな波を白立たせて揺れていた。海は季節を問わず煌めき美しい。

 冬の潮風は、増して濃い。以前訪れた時は夏の蒸した空気と爽やかな風が交じっており、鼻の奥まで通り抜ける風が全身を駆け巡ることで体の中が浄化されていた。
 しかし今日は、鼻いっぱいに吸い込めば奥がつんと痛む。刺すような冷たさを含んだ風は、4月を迎えることでようやく春らしさを滲ませてくるようだ。まだ寒さの残る空気の中で音を立てる波は、以前よりも鮮明に聞こえているように感じられた。

「今年のブーシャン祭は、ヴィルニーシェルに行こうと思っているんです。花を届ける用事もあるので、花で彩られた街を見て行こうかなと。なほとの約束でしたが、年に一度しかありませんし。それに、一度見に行ったことのある方が、なほと一緒に行くとき、案内ができるでしょう?」
 どこか嬉しそうに話す青年から、夏藤なほから連絡が来たという話は聞いていない。しかし、もしかしたらそうではないかと感じてしまうような青年の優しい言葉遣いは、以前と比べると変化が明らかだった。


 Conte Bleuを読んだ青年は、何度も読み直していると教えてくれた。
「読むたびに、なほのことを思い出すんです。そういえばこんなこともあったな、っていう思い出もふと浮かんできて、その度に懐かしく感じます。あなたが書いてくださったお陰です。今でも隣に、なほがいるように感じられるんです」

 空いた石階段に視線を向けるが、そこには誰もいない。しかし、穏やかな瞳をする青年を見ていると、そこに本当に彼女がいるのかもしれないと思わされる。どうかそうであれば良いと願った。


 どこにいるのか分からない夏藤なほは、確かに青年の心の中に存在している。そんな人物にいつか本当に会うことができればと願いながら、青年と他愛ない話を広げていた。

 青年から話を聞くたびに、私の中の夏藤なほが形を帯びていく。今も誰かの記憶の中で生き続ける夏藤なほの存在を風化させないために、私はこれからも、この町を訪れるだろう。


著:Yvette Trantoul

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