だいたいの「どうせ」はいらないんだけど、そうも言ってられないのかな
こんばんは。たにぐち(@tani_maru9)です。
なんかnote書こう、と思っていたところで、ふと思い立ったので勢いで書いています。駄文です。
今日、こんなツイートをしました。ぼくあるあるです。
まぁ、ぼくあるある、と書いたんですが、きっと共感してもらえる部分はある気がします。これについてもう少し深堀りして考えてみようかなとおもいます。
だいたいの「どうせ」はいらない
だいたい、動き始めたプロジェクトでの「どうせやるならこれもやろう」ででてきたことは、実際にはなくても、十分だったりするんですよね。結局。どうせやるなら、っていう動機で始まるものはそもそも、そこまでニーズが高まっていなかった、ということかもしれません。
それなのにプロジェクトを始めると何故か気になって入れたくなる。しかもその進行の途中に。不思議ですね。多分、ひとって、1つの行動の中にいろんな意味を見出したくなるんだと思うんです。貧乏性なんでしょうか。
設計段階の最初から「どうせやるならこれもやろう」なら分かるんです。この段階で入れ込むことを想定して作ったり、本当にいるのかな?とおもって必要な設計をし直したり、ってことが可能だし、この段階でいろんな機能について検討するということは大事だと思います。ですが、この「どうせ」往々にして、途中で突然出てきます。結局設計もある程度進んじゃったので、入れよう、入れて、と言われると、できなくはないので辻褄が合う形に合わせてなんとか入れ込むってことができちゃうんですよね。
そして気づいたらなんか初期の頃に考えていた頃よりもめちゃくちゃ機能が増えていたりします。結局最初に何をしたかったのかがわからなくなるし、個々の機能でみたら良いのかもしれないけれど、全体としてみたら「???」な蛇足のだそくんの誕生です(使い方違うかも)。
でも色々統合したいよね
とある場所でシェアしてもらって読んだ記事なんですが、要約すると、「マーケティングツールを選ぶのに単機能なものを選ぶより、より統合性の高い製品を選ぶ志向性が高まっている」というような記事です。しかもこのトレンドは急速に高まっているそうです。
要因としては、主に、複数のツールを使っているとデータの統合がしづらいということと、first-partyの機能がマーケットプレイスなどでひろまりやすくなった、とのこと。
実際に、統合のしやすさ、は価格や使いやすさ、オンボーディングのしやすさといったところよりも重視してサービス選択されるようになってきています。
なるほど、やはり人間は「どうせやるなら全部一元管理したがるものである」というわけですね。わかる。
戦略的「どうせ」?
なんかまとまりはないし、じゃぁどうするのよ、といったことについては全く回答を持っていないんですが、「戦略的どうせ」を考えておくのが必要な気がします。思いつきのどうせ、じゃなくて、どうせやるなら、これもやったほうがいいよね。といってちゃんとその場しのぎの付け足しではなくて、CoreとかWhyの部分までさかのぼって考えたり、さかのぼった結果整合性が取れていればいいのかなと思ったり。
まぁそこまで、毎回さかのぼっていると事業のスピードとしても落ちてしまいそうなので悩むところではありますが(実際、ぼくはさかのぼるとめちゃ時間かかる)。なのでCoreとかWhyに遡るぞーってしなくても染み付いているみたいなのもなんか大事な気がする。(このあたりの共通言語化と明文化あたりが今の課題だと、ぼくは思っています。ことばにするのだいじ。)
とはいえ、ぼくはあまり多くのことをいっぺんに考えるのはまだ苦手なので、ミニマムな小さい機能とかプロダクトから考える癖をつけたりして少しずつ大きいプロダクトとかを考えられるようにしたいなぁなんてそんなことを考えています。
ま、ミニマムでやるぞーとか言ってるはずなのになぜか大きくなっていくのが世の常なんですが。
たにぐち
最後まで読んでいただきありがとうございます。