思考の言語化にはやっぱり助けが必要
ぼくは過去2回ほど、精神的につらい時期を過ごしました。そして今、3回めを迎えようとしています。自分の精神的な谷を知っているので、これ以上落ちるとしんどいということがわかっているので、手を打ちました。
過去2回は大学時代だったので、大学のカウンセラーと精神科にお世話になっていたのですが、卒業後、頼れる場所もなく、実家ぐらしでかんたんに通院などがしづらくなったというのもあり、一人で抱え込んでいたところ、オンラインカウンセリングがあると知りました。
ぼくが申し込んだのは、オンラインで話すカウンセリングではなく、まずは文字ベースで交換日記をするように話をすすめていく、パートナープログラムというものです。
まだ、はじめて4日ほどなのですが、すごく丁寧に返していただいていて、しかも自分が自分のしんどい精神状態を言語化するきっかけにもなっている上、支離滅裂になりながら吐き出したものを整理してさらに深堀りしていただいたりとすごくいい時間になっています。(毎日2000字くらい書いています)
決して安い額ではないのですが、逆にぼく自身もせっかくやってもらっているんだから。という気持ちにもなっています。
今回はまず「言語化すること」に注力したかったのでテキストベースでやっていただいています。じっくりやれるし、自分の中で考えられるというのもあります。今後、通話でのカウンセリングも相性が良ければお願いしようかなと思っているくらい、本当に良い時間になっているような気がします。
ぼくは、かなり自分の思考を言語化することが好きで、一人でもやるようにしているのですが、やっぱり一人で考えていると同じことのループになってしまったりで、苦しくなってしまいます。そこに、専門家が専門の思考で考え方を提示されると、自分の思考に新しい風が吹き込まれるような気がします。
ぼくがカウンセリングが好きな理由は「ぼく」という人間を全く知らない人がぼくの言葉からその場の状況だったり思考だったりについて、かなり客観的に話を聞いてもらえるから、です。
だからぼくはかなり安易にカウンセリングとかお願いするのですが、やっぱりまだまだ「カウンセリングは病んでる人がいくもの」というイメージが大きすぎて、言いづらい部分があると思います。実際ぼくの母は、あまり良いイメージは持っていなそうなので言い出せません。
もっと、歯医者にメンテナンスに行く。くらい身近なものになったらいいのにな。と思いながら。
たにぐち
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