
ズーカラデルを好きになりすぎて~好きな曲の歌詞について語りたい!
とうとうライブにまで行ってしまったので、前回はそちらの感想を中心に述べたのだが、やはり、私はズーカラデルの、吉田さんの書く曲、何よりも歌詞が好きになってしまったので、そのことについて語りたいのだ。だって、なかなか周りにズーカラデルのファンを見付けられないし、いたとしても私が語るときっとウザがられる。だから、ここで私の思いを垂れ流したいのである。読んでいただける皆さまありがとうございます。すべては私の勝手な解釈であることを先にお断りしておきます。
さて、前の投稿(「最近であったバンド」)では「ダダリオ」について語ったのだが、とにかくいろいろな曲がいい。ライブの感想で、ズーカラデルの好きな曲をあえて10曲挙げてみたので、ここでもう一度挙げてみると、「イエス」「アニー」「スタンドバイミー」「ニュータウン」「ブルー・サマータイム・ブルース」「ダダリオ」「しろがね」「シーラカンス」「未来」「バードマン」(順不同)ということになる。ほとんどの曲がいいし、聞くたび新しい曲が気になるので、あえて、である。今回はこの中から2曲、「ニュータウン」と「未来」について語ってみたい。
まずは「ニュータウン」である。最初に聞いたとき、「イェイェイェ嘘みたいね 僕ら一緒に生きるだなんて 嫌いなとこは100個あるし 君もそうなのは知ってるんだ」と聞こえた。決して相性がいいわけでもわかり合えるわけでもないのに、嘘みたいだけれど、それでも一緒にいる2人の歌だと思った。ラブソングか、と。
ところが、一応歌詞を検索してみて目を疑った。「嘘」ではなく、「クソみたいね」だったのである。「僕らが一緒に生きているのってクソみたいだね」と歌っていたのだ。しかも明るく朗らかに(ライブ動画を見ると鷲見さんが笑顔でクソみたいねとコーラスしている)。びっくりした。そんな展開聞いたことがない。もはやラブソングなんて言えないんじゃないかと思った。ところが、別の一節を聴いて思うことがあった。それは「最低な私のあなたのそばで光る」という部分である。果たして光っているのは何だろう?はっきり歌われていないのである。考えていてゾクッと来た。そうか、なんでもいいんだ。クソみたいな状況に置かれているすべての人に対して、吉田さんは、きっとそばに光っているものはあるはずだよ、と歌っているのでは、と思ってしまったのである。
どんな最低の状況、それは恋人との関係だけではない、家族の中や、職場の中や学校のクラスの中で、クソみたいな人間関係に置かれてしまったとしても、あなたから見た私の中に、私から見たあなたの中に、そして、例えば一緒に食べるおいしい食事に、二人で歩いた道の途中で見かけたものに、ふと差し込んだ日の光に、子どもの笑顔に、かけがえのない愛おしさを感じることはきっとあって、そのようなものの存在でなんとかやっていけるはずだよ。だから、クソみたいねって笑い飛ばしてやろう、わかり合えたりはしないけれど、とりあえず話はし続けていこうよ。
こんな応援歌なのではないか、と思ったのである。
え⁉そんなことは歌っていないだろうですって?そうですね。勝手に解釈しすぎかもしれません。でも逆に、ではあなたはどういう歌詞だと思いますか?と尋ねてみたい。そして返ってきたあなたの答えに、なるほど、と膝を打ってみたい。吉田さんの歌詞にはそのような多様な解釈の余地がたくさん残されている。そして、そこがちょっと前の投稿(最近出会ったバンド)で述べた「詩にはメタファーが必要だ」という言葉に繋がり、ズーカラデルの曲が私を惹きつけてやまないのだと思っている。
もう一曲だけ、「未来」についても語りたい。1曲とおしてよい曲だと思うが、今回は2番について。2番の内容を私なりにまとめればこうなる。「訳の分からない、頭にくるやつも多い世界だけれど、私は流されたりはしないで生きていこう。そして一人きりでも何万回も歌うんだ。こんな世界の中で何かをなくしてしまったあなたのためにも。」
なんて勇気の出る言葉だろう。「たとえあなたが何かをなくしてしまって、奪われてしまって、その悲しみや辛さに誰も気づいてくれなかったとしても、私ひとりだけでも何万回だってあなたのそばで歌おう」なんて言われてしまったら、私は一生吉田さんについていきたいと思う(すみませんオヤジだけど)。ずっと歌を聴き続けていきたいと思う。
吉田さんの歌詞は決して前向きなだけではない。孤独、絶望、投げやりな感情がたっぷりと詰め込まれているように思う。しかし、それでも前を向こうとしているように感じるから、少しでも世界を変えてみたいという気持ちが伝わってくるから、自分ももう少しだけ頑張ろう、と思える。人間なんてひとりの人格の中にも善悪など正反対なもの入り乱れたぐちゃぐちゃな存在なんだ思っている。それをきれいなわかりやすい言葉でまとめてしまうと、安心はできるのだが、とても浅く感じる。ぐちゃぐちゃなものをぐちゃぐちゃなままにして向き合う勇気が必要だと思っている。まさにそのような勇気を私に与えてくれるもののひとつが、最近出会って大好きになった(ライブにまで行ってしまった)ズーカラデルの曲である。歌詞の話ばかりしてしまったが、本当に3人の、そしてサポートメンバーの紡ぎ出すバンドの音が大好きなのである。