キーボードが打てなくなりました
こんにちは、竹岡佳信です
右肘に激痛が走るようになり、
キーボードが打てませんでした。
症状的にはテニスエルボーのような感じ、、
でも、
テニスは、学生の時に、
友人たちとの旅行で、一度、やったきりです。
テニスサークル全盛の時代に
学生生活を送った身としては
結構、硬派で通していたのかもしれません。
もっとも、
硬派だった理由は、、
モテなかっただけなんですが、、
それは、置いておいたとして
キーボードが打てないと
基本、仕事になりません。
音声入力という手もあるのですが、
トラックパッドの操作をすると
激痛が走る状態では、
そもそも、ディスプレイの前で
落ち着いて何かを考えるなんてことは無理。
コロナに罹患して後遺障害も含めて、
回復までに3ヶ月ほどを要したり
今度は、キーボードが打てなくて
思うように仕事が出来ないのか・・
そう考えると
なんだか、ガッカリした気分に
なってしまいました
こんなとき、あなたならどうしますか?
人生には、さまざまな出来事があります。
想定よりも、良かったら
『ラッキー』
想定しよりも、悪かったら
『アンラッキー』
順調に、思い描いている通りに
人生が進んでいるように思える時期もあれば
起きたら困るなぁ、と思っていた
出来事が起きてしまって、
うまくいかない時期もあります。
でも、
そんな中でも一番、困るのが、
『想定外』の出来事が起きたとき・・
突然、想定していなかった出来事が起きて
人生設計が大きく狂うこともあり得ます。
今回も、そんなに大きな
出来事ではなかったけれど、
キーボードが打てなくなるなんて
思いもしなかったことが起きたしまったわけです。
私は、そういう時に、
こんなふうに考えるようにしています。
想定外のことが起きるということは、、
これまでの思考の範囲で
予想できないことが起きているということ、、
だとしたら、
これまでの思考と、違う方法でしか
対処できないだけ。。
なので、
人生を変えてみては?という
神様からのメッセージかもしれないし、
『転機』という名の『チャンス』
なのかもしれません。
例えば、
会社で部長からヒラ社員へとの
納得できない降格人事があったからこそ
会社を卒業するキッカケが得られました。
その結果、
家族で八ヶ岳に移住し、今では、
ログハウスを手に入れることもできました。
降格を告げられた時の、会議室のシーンは、
今でも、詳細に覚えています。
嫌な思い出か、と問われれば、
確かに、そうだった時期もあるけれど、
あの人事がなければ、
今の私の生活はないかもしれない。
降格を告げる時の、役員のこわばった表情も
今では、感謝をもって思い出すことができます。
出来事そのものには、意味はありません。
出来事に、どんな『意味』を付けるのかは、
自分自身の選択に任されています。
だとしたら
今、どんな状態であったとしても
それを、どのようにして
自分の人生の役に立てるかという
「意味づけ」をすることは
可能なのかもしれません。
将来が見通せない、という悩みは
自分の意思で将来を変えることができる
可能性があるということです。
仕事が上手くいかない、という悩みは
成果を手にするための工夫や
別の仕事を始めるためのチャンスだ
ということです。
ビジネスを始める決断ができない、としても
思い描いているチャレンジが大き過ぎるだけで
スモールスタートが最適
というサインなのかもしれません。
どんなに自分に都合の良い
『意味づけ』をしようとも、
自分が『自分の人生』を生きている限り
誰に文句を言われる筋合いもありません。
いや、逆に
都合の良い意味付けで、
人生を満たせるのなら
実は、それこそが、一番の、
幸せな状態なのかもしれない。
あなたの、今の「悩み」は
確かに、今、苦しいものかもしれない
でも、
未来を変える原動力として
役に立てることができる
人生の大きなギフトに
なるのかもしれません。
人生の経営者になる
人生のリソースの多くは
持って生まれたものではなく
生まれてから身につけたもの
そして、
ネガティブな経験にこそ
『智慧』を出すネタが豊富にあるし
自分の『価値』を上げるための
勝機が眠っているのかもしれません
また、メールします
八ヶ岳のログハウスより
竹岡佳信