氷見から見る立山連峰と唐島と藤子不二雄A
氷見から見る立山連峰と唐島と藤子不二雄A
氷見の地名の由来はいくつかあって、そのうち、氷見は越中で立山から昇る朝日を1番最初に見る地であることから、日見、氷見となった。
また立山の雪を見る地であることから雪=氷、氷見。
など。
海岸から300メートルの所にある唐島は全島が曹洞宗光禅寺の境内とされている。
唐島の由来は、光禅寺を創建した明峰素哲が唐の大火を消し鎮め、その返礼に唐から島を贈られたという言い伝えから。
光禅寺は藤子不二雄A先生の生家。A先生の本名は「安孫子素雄」で、名前のなかの「素」は明峰素哲禅師から一文字もらったもの。
1944年の6月に、光禅寺の第49代住職であったお父様が急死、当時小学5年生だったA先生は住職を継ぐにはまだ幼く、曹洞宗大本山・總持寺から新しい住職を迎えた。
光禅寺を出たA先生一家は親戚のいる高岡へ引っ越し、転校先の定塚小学校でF先生と出会うのだった。
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