cat lady
私は、結婚せず子どもも持たず、フルタイムで働きながら猫を飼って暮らしている。
私のような人を米国ではcat ladyと呼ぶらしい。先日発足したトランプ政権で副大統領を務めるJDヴァンス氏が、大統領選挙時に対抗馬のカマラ・ハリス氏を揶揄してcat ladyと呼んだというニュースでこの言葉が注目されたことが記憶に新しい。
cat ladyは本来、文字通り「猫好きな女性」を指すが、その裏には「子どもがいない」「惨めな」「精神的に不安定な」という意味があるらしく、女性に向けた中傷的表現である。(ちなみにヴァンス氏が既婚で猫を飼っていないハリス氏をcat ladyと呼んだ理由は、3つ目の「精神不安定」を意図していたという記事を読んだ。)
日本語で独身女性を揶揄する表現といえば「おひとりさま」だろうか。「独女」から派生した「毒女」なんかは、いかにも独身でいることが悪いことで、女性本人に問題があるということを示唆している。
少子高齢化の日本において、子どもを産まない女性は図らずも少子化に貢献してしまっているので、「社会が求める役割を果たしていない未熟で自分勝手な女」という見方があるのかもしれない。知らんけど。
そして結婚していないという状態も、「男性から選ばれなかった不幸な女」というイメージがあるため、cat ladyの「孤独」とか「惨め」という印象につながるのだろう。そういえば「負け犬」なんて言葉もあったか。「行き遅れ」は死語かな。
当事者としては正直にその部分もあるかなとは思う。私の場合、とにかく異性から好意を持たれることが少ない人生だった。周りが結婚していく中、焦ったこともあった。自然に出会えることはないと知って、マッチングアプリを始めてみたり、紹介所に登録してみたこともあったが、強烈な違和感を感じて続けることができなかった。今思うと、結婚相手を探さなくてはならないと焦って、自分らしくないことをしなくてはならなかったあの時期が最も「不幸」で「惨め」だったように思う。マジョリティと同じ道に進めない自分が周りに比べて劣っているように感じたし、社会の「毒女」「負け犬」のレッテルに自分が含まれるのが怖かった。
そうこうしているうちに年月は経ち、いわゆる高齢出産と言われる年齢に差し掛かった時、私は悪あがきをすっぱりやめて独女として生きることに決めた。そのタイミングでペット可の物件に引っ越すことができ、元々猫好きだった私は懇意にしていた保護猫団体から猫を譲渡してもらい、見事、cat ladyに転身したわけである。
cat ladyとしての私の人生は毎日が幸せの連続である。元々猫好きの素地があったとはいえ、猫が私に与えてくれる幸せは予想以上だった。もちろん、不測の事態で夜間動物病院に駆け込んだり、どんなに体がしんどい時でも猫のための掃除とご飯の用意は最優先で行ったり、楽なことばかりではない。でも仕事から帰るとかわいい猫が出迎えてくれて、夜は甘えてくる猫のお尻をポンポンしながら過ごし、朝はかわいい鳴き声で起こしてくれる。どんなに仕事に行きたくない朝も、猫のためにご飯代を稼がなくてはという思いでなんとか仕事も続けられる。
人間の子育てに比べれば手間のかからない猫であるが、それでも私がいなければ生きていけない命であり、絶対に守りたい存在である。今の私は「孤独」や「惨め」ではないし、猫のおかげで精神的にとても安定している。
ここまでくるとなぜcat ladyはこれほどマイナスな言葉になってしまったか謎である。子なし独女が幸せであってはならないという社会の圧力だろうか。先に述べたように少子化に貢献してしまった負い目はある。しかし、老後に社会の負担にならないように今しっかり働いて税金も納めているし貯金もしているつもりである。幸せを否定されるほど悪いことをしているとは思わない。
加えて私は、自分が結婚出産育児に向いているタイプの人間ではないことがうっすらわかっている。なかなか言葉では説明しづらいのだが、直感的にうまくいかないことが予見できるのである。それもあって結婚相手探しに対して違和感が強烈だった。一方で猫との暮らしがとてもしっくり来ている。こればかりは人それぞれなのであって、私は私にとっての正しい選択ができて本当に良かったという思いしかない。
結婚子育てにマイナスなイメージを持つ若者世代が多いと聞く。思うに、彼らの親は結婚子育ては当たり前の世代。経済的理由で愛情のない結婚だったり、好きでもない子どもを持つなどの不一致が多く発生した結果ではないか。結婚することも子どもを持つことも本人の意思で選択できる社会こそ健全であると思う。本人の意思で選択した人たちが家庭を築き、そこで育った子どもたちもまた自分の意思で選択していけばいい。結婚子育てに良いイメージがあれば、選択する次世代も増えるだろう。
幸せの形は人それぞれ。自分にとって幸せを感じられる生き方を選択できて、また他の人が別の選択をすることに対しても尊重し合える社会こそ生きやすいだろう。cat ladyがいつしか「猫好きで幸せな女性」を指す言葉になる日が来ることを願っている。