アイマス……何?
最近身のまわりで目について触れられることが多くなってきたなあ、と思ってたところのシャニマス。Vtuberの配信とか身近なひとのツイートとかで目に入ると、だんだんだんだん気になってくるわけで。ということでシャニマス始めてみた。
もともと自分のなかでアイドルコンテンツに親和性が高かったわけではなかった。三次元のアイドルには興味ないし、二次元でいえばプリチャン、キンプリ、アイカツあたりは好きだけど、もともと摂取するコンテンツの軸足がキッズアニメにあるため、その延長線上で見ているところがあった。必殺技(プリズムジャンプ)かっこいい! とか、パワーアップ(新曲)キタ! とか。ほぼ興味範囲が子供の目線。そういう世界でほぼ生きてきた。
そういうわけだから、ちょっと年齢層がそれより高めのアニメ、当然アイドルコンテンツも関心はなかった。それにハマっている人の語り口も何だか受け付けないところがあったし、正直に言ってフォビアも感じていた。
でもちょっと前にラブライブを見始めてから、そういう気持ちは少しずつ変わってきた。「NHKで放送されてるし、まあ見てみるか」という、だからこれもキッズアニメの枠内で理解しようと視聴し始めたのだけど、いつの間にかドハマリしてしまって、いまではアプリゲームもアニメも毎日見るくらいになってしまった。おかげでいまは「のぞえりはいいぞ」とか、「硝子の花園はいいぞ」とかしか言ってない(片寄ってますが)。ちょっと前まで「ラブライバー? 何あのジャラジャラしてるの。恐いから近寄らんどこ」と思っていたのが嘘のようである。まあそういうのいまでは絶滅危惧種だけど。
で、それをきっかけにしてだんだんアイドルコンテンツへの偏見もなくなっていったのだけど、しかし個人的にそのフォビアの一番高い牙城を作っていたのがアイマスだった。作品そのものやプロデューサーの語り口を覗くたびに、異文化性のようなものを一番感じていたタイトルだった。プロデューサー同士の交流とか推しの感想戦なんかは完全に文化が違うよな、という目で見ていて。端的にそこまでハマれないよな、と思っていた。だからそうまでして熱中しているのを見て恐怖を感じていた、と言えるかもしれない。
もともと二次元のコンテンツを見るときにキャラにフォーカスして入る、という受容の仕方をあまりしていなかった。だから「推し」(実はこの言葉の語感もつかめないところがある)の美点を見つけてそれを愛でて精緻に言語化したり、そこから他人との交流を楽しむという文化が強く出ている(ように見える)アイマスは、とっつきにくさの塊でしかなかった。
(余談だけど、それは詩に対するとっつきにくさと自分のなかで相似しているものを感じる。ごろっとした生のままの言葉=キャラを直観でつかんで言葉で解釈しながら付き合っていく仕方とか、もっとはっきり言えば詩=ポエムに対するわけのわからなさからの嫌悪感は、プロデューサーの推しへの応援コメントに感じるそれと自分のなかで繋がっているものを感じる。)
でもそれが偏見なのは言うまでもない。たぶんラブライブへの付き合い方が変わったように、アイマスへの付き合い方も変えることができるだろうと思う。必要なのはその変化と付き合っていく長い時間なのだろう。実を言えば、アイドルというキャラやそれを推す熱意に強く憧れている心は自分のなかにはあった。だってそれは自分にはまったくないものだから。そういうふうにしてキャラに接することを羨ましく思っていた。他人に対する恐怖や嫌悪感というのも嫉妬の裏返しにしかすぎない。
そこまで突き詰めて言わなくても、単純に動画を見ていたりするとシャニマスって面白そうだなとは思う。自分がどこまでこのタイトルに接近できるかどうかはわからないけど、ただの嫉妬がどこまで変われるか、アイマスの良いところをどこまで見つけ出せるかを、長い目で見て、ただの初心者から始められたらと思う。
……ところでシャニマスはまだチュートリアル終わらせたところにしかすぎないけど、システムがよくわからない。というか難しい。フェスって何? とか、サポートアイドルって何? とか。スクスタといい(いまは慣れたけど)、最近のアイドルゲームってこんなに難しいの? とは思う。まあこういうのも合わせて慣れなのだろうけど。