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お仕事小説:機上の大奥にて ~保安訓練編~ 第九話(全九話) #創作大賞2024


第九話 最後の試練

 「はい、それでは総合試験をはじめます」

 シーンとした静寂の中で、荒木教官の低い声がモックアップの隅々にまで響き渡る。
 もう板についたグレーのカバーオール姿。今日の試験は、このドブネズミスタイル卒業の可否を決めるものになる。
 三週間と長きに渡った保安訓練の最後にして最大の試練――それが本日の総合試験だ。ボーイング777、767、737、つまり全日本帝国航空が保有するすべての国内線使用の航空機の緊急脱出のロールプレイを、訓練生二十人がぞれぞれランダムにアサインされ、演じ、評価を受ける。

 そして見事この総合試験をパスした暁には、保安訓練は合格となり、今度は制服を身にまとってのサービスの訓練に移行する。つまり、保安訓練における最大の勝負所というわけだ。

「今日は皆さんの力を存分に発揮し、今まで学んできたことを私達に見せてください」

 荒木教官の言葉に、身体の中ではやる気の炎が漲ると共に、みぞおちあたりに渦巻く緊張感もさらに大きくなっていく。

――総合試験には魔物がいるらしい――
 そんな噂を幾度となく耳にした。理由はオーディエンスの多さだ。今回はグループごとに分かれて個々にロールプレイを行うのではなく、全体ですべてのロールプレイを遂行していく。
 つまり、アサインされた訓練生は客室乗務員として、されていない者は乗客としてすべてのロールプレイに参加するということになる。
 仲間同士、互いに成長した姿を見せ合う――それは本来喜ばしいことなのかもしれないが、こと極限状態の訓練生にとっては、緊張感を百倍以上にも高めるスパイスと課す。
 さらに追い打ちをかけるように、試験を遂行し、訓練生を評価するために数多くの教官達が参加する。人という字を何百人分書いて飲んでも、足りないくらいだ。

 訓練は、大型機から小型機へ、つまりボーイング777、767、737の順番で行われるらしい。アサインされる生徒の数はドアの数と同じだから、777で十人、767で六人、737で四人。同じケースでアサインされた仲間と共に協力して乗客を脱出させ、乗務員自信も脱出をするところまでを行うと考えると、願わくば初めにのうちに777でアサインされておきたい。737だけは……。

「はい、ではまずは777のロールプレイをはじめます。アサインされた方の名前を呼びますので、呼ばれた方は前に出て来てください」
 呼ばれろ! 呼ばれたくない……やっぱり呼ばれろ!
 心の中で一人葛藤した末、太田亮の名前は最後まで呼ばれなかった。

「では、スタート!」
 機種側にある大きなモニターに飛行機が映し出される。滑走路を走り抜け、大空へと飛び立つ。しばらく飛行すると、突然画面全体が赤く点滅し、緊急事態を知らせる不穏な電子音が鳴り響く。
 そして現れた「バードストライク」の文字。飛行機のエンジン部分に鳥がぶつかり、エンジンが故障。急遽、緊急着陸を行うことになったとのことだ。
 やべぇ……どうしよう――今までの訓練とは全く違う本格的な雰囲気に、俺は完全にのまれていた。

「はい、では最後に737のロールプレイを行います。L2太田亮さん、R2一ノ瀬理久さん」
 ここまで呼ばれなかったから、正直もうわかってはいた。
 そしてこれまでの人生を考えても、この結果は納得がいく。俺はこういう時、一番難しいカードを引いてしまうんだった。そして、そういうカードを引くことを、いつも心のどこかで楽しんでいる。L2が俺、R2が一ノ瀬、つまり機首側から数えて二番目のドアの左側が俺、右側が一ノ瀬ってことだ。
 こんなワクワクする展開、他にないじゃないか。
 
 ジャンプシートに座り、衝撃防止姿勢をとる。機首に向かって後ろ側のCAシートなので、後頭部はシートにつけるのが正解だ。ふと、左を見ると、一ノ瀬が顎を引いて頭を丸めている。あの一ノ瀬がこんな単純なミスをするなんて……。ジャンプシートを掴む彼の手が小刻みに震えていた。
 ボーイング737は通路が一本しかない小型機だ。
「一ノ瀬」
 小声で囁くだけで意思疎通ができる。俺の姿を見て、一ノ瀬はハッとした表情を浮かべ、後頭部をCAシートにつけた。
「一ノ瀬、びびってんじゃねぇ、みんなの命がかかってるんだぞ」 
 一ノ瀬がフッと笑った。その顔を見て俺も笑みがこぼれた。
 一ノ瀬の目の色が変わった。そして彼はスーッと息を吸い込む。
 
「はい、では機が急降下中」
 唐澤教官の声が響き渡る。さぁ、始まりだ。

「頭を下げて~HEAD DOWN!!!  頭を下げて~HEAD DOWN!!!」

 腹の底からあらん限りの声を張り上げる。二人の男の野太い声が、一帯に響き渡る。想像しろ! 急降下していく航空機。脳裏にはあのぺしゃんこに湾曲した座席が浮かぶ。みんなが受ける衝撃が少しでも小さくなれ! 祈りを込めて、何度も何度もあらん限りの声で叫び続ける。隣の一ノ瀬から聞こえる凄まじい大声が、俺の心を奮い立たせる。

「機の完全停止!」
 唐澤教官の声が刺すように響く。

「大丈夫!!! 落ち着いて~!!! STAY CALM!!!」
「外は海!」
 海、ということは着水だ。

「着水!! ディッチング~!!!」

 着水時、つまり外は海なので、乗客にライフベストの着用指示を行う必要がある。ボーイング737は客室乗務員のジャンプシートが最後尾に位置している。そのため、一人がオーバーウイング、つまり翼がある真ん中付近まで行って、前と後ろで乗客を挟むような形で、ライフベスト着用指示を行う。
「俺はここでライフベスト着用の指示をします」
「俺はオーバーウイング付近でライフベスト着用の指示を行います」
 クルー間でしっかりとコミュニケーションをとる。そして一ノ瀬がオーバーウイングに向かった。

「翼の上のドアはまだ開けないで~!! DON'T OPEN THE OVERWING EXIT
NOW!!」
 一ノ瀬がオーバーウイングにある小さなドアを指さして叫ぶ。
 そうだ! オーバーウイングには担当乗務員がいない。乗客が外の状況を
確認しないまま勝手にドアを開けて、火災や浸水など危険な状況にならないように、この737の機材のみ言わなければならないアナウンスだ。さすが一ノ瀬、抜け漏れがない的確な指示だ。

 俺は最後尾、一ノ瀬はオーバーウイングで、互いに声を張り上げながら、救命胴衣着用の指示をする。遠くからでも一ノ瀬の声がはっきり聞こえ、大きな身振りはクリアに見える。一緒に闘う仲間がいるって、こんなに心強いんだ――なんだか、鼻の奥がむずむずする。

 ボーイング737は機体構造上、水位が保てないため、後方のドアは使えない。機内に水が入り、浸水してしまう可能性があるからだ。そのため、俺は後方のドアが使えないことを乗客に伝える。
「このドアはダメ!! BLOCKED EXIT!!」
 額の前で大きくバツ印を作る。
 あとは一ノ瀬がオーバーウイング(翼の上)のドアを開けてくれるのを待つのみだ――。

「NO FIRE!(火事なし!) NO FUEL LEAK!(燃料漏れなし!)SPACE AVAILABLE!(スペースOK!) 浸水なし!」

 一ノ瀬は、冷静かつスムーズに機外の状況を確認、乗客に的確な指示を出し、オーバーウイングのドアを開け、上の棚にしまってある救命ボートを準備。あっという間に左右合計四つあるドアをすべて開け、脱出の経路を作った。その判断の速さと指示の的確さに、俺は感服した。やっぱり、一ノ瀬は天才だ。

「あっちへ行って~!!! GO THIS WAY !!!」
 思いっきり両手を後頭部から前方に振り下ろし、一ノ瀬が作ってくれた脱出経路に、乗客を誘導する。

 どんどん脱出していく乗客。煙が充満し、真っ暗になった機内で、姿勢を低くして懐中電灯を照らしながら、残されている乗客がいないか確認する。
 真ん中で一ノ瀬とぶつかった。
「ここまで誰もいません」
「こちらも問題ありません」
 頷き合い、二人で飛行機の外に出た。外の空気は、とてつもなくうまかった。

「はい、では、本日の総合試験の結果を発表いたします……」

「みなさん、合格です!」

「わぁ!!!」
 モックアップで、仲間たちのこんな嬉しそうな叫びを聞いたのは初めてだ。
 隣の一ノ瀬を見ると、一ノ瀬もこっちを見た。こんな時、男はどうしたらいいか、わからない。俺はなぜかニヤニヤした。一ノ瀬も照れくさそうにしている。
 それからみるみる目に溜まってくる熱い汗がこぼれ落ちる前に、カモフラージュで視線を動かす。
 荒木教官が満面の笑みで笑っている。唐澤教官も。
 そして、後ろを振り向くと、葉山さんが嬉しそうに拍手している。
 視線が合いそうになって、慌てて前に向き直る。
 ああ、みんなそんなに喜んじゃって、恥ずかしいなぁ。

 目の洪水の心配がなくなった時、もう一度振り返って葉山さんを確認する。葉山さんの顔からは優しい笑顔が消え、いつもの美しくて少し怖い顔に戻っている。
 俺は次のステージが怖すぎて、そして楽しみすぎて、叫びたかった。
 とりあえず、今日は一ノ瀬とカラオケだ。

 







 

#創作大賞2024 #お仕事小説部門 #CA #客室乗務員

 

 


 
 









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