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「早稲田卒、落ちこぼれあひるの末路」
「明日から来なくていいよ」in 令和
ほとんどの人が漫画かドラマの世界のものだと思っているこの言葉。
この令和の時代に、人一倍真面目に、そして一生懸命に働いていたにも関わらず、現実社会に存在することを証明した者がいた。
それが、この私、あひるである。
この稀代なる珍事件の舞台は、渋谷の道玄坂をのぼりきったところにあるコメダコーヒーだ。
社員11人の小さなWeb制作会社にて、ピリピリした雰囲気の中、誰からも話しかけられずパソコンとにらめっこしていた午後5時、アカウントプランナー職のトップ林さんに呼ばれた。
「あひるさん、ちょっと外出れる?」
「(・・・はい、ついに来ました)」
目の前のWebデザイナーが同じ服を着て働き続けて3日目になるこの忙しい会社で、それでもちょっと外に出なければ話せないような要件など、ひとつしかない。
林さんと無言で坂を登る。空白に耐えられず、思わず言った「ここでいいですよ」✕3。
それを林さんはすべて「いや…」で交わし、黙々と歩みを進める。
8分後、、、コメダコーヒで向かい合って座る林さんとあひる。
お姉さんがメニューを取りに来ると、林さんはコーヒブラックを頼み、「好きなの頼んでいいよ」と一言。
シロノワールって言っちゃう?というこういう時になぜか湧き上がる挑戦心をスルーして「私もコーヒブラックで」と答えるあひる。
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お姉さんがテーブルの上にコーヒを2つ置き、去っていく。そこで林さんがやっと重い口を開いた。
「あのさ、ごめん」
「クビですよね?大丈夫です、わかってたんで」
「・・・」
ーーほんとにクビなんだ。わかってはいたけれど、自分で言ったクビの二文字が頭の中をぐるぐる駆け回る。
たしかに、CAとして接客というアナログ最高峰の世界に5年間浸っていたあひる。そこをするっと抜け、いきなり飛び込んだ少人数のWeb制作会社での業務は想像の6倍しんどかった。
入社当時のあひるのパソコン力は、言うなれば、小五の情報の授業に毛が履生えた程度。
自分でブログを運営してはいたものの、Macのパソコンを使用することも、パワーポイント・スプレッドシートを実務で使うこともはじめてだった。
という言い訳はここまでにして、今回のクビの最大の理由を明かそう。
それは、「使えなかったから」これに尽きる。
どう使えなかったのか?
具体的には次の通りだ。
・作業スピードが遅い
・誤字脱字が多い
・報連相ができていない
・一度言われたことができていない
・飲み込みが遅い etc
すべてに自覚があるから、異論はない。
しかしあひるは思った。
「あれ、気づいたら私、会社クビになっちゃうくらいに落ちこぼれたんだ」
学生時代の私ーー通信簿はオールA、中学ではオール5、高校は県のトップ校、大学は早稲田ーーの私と、今戦力外通告を受けた私、おそらく何も変わってはいない。
変わったのは、私を取りまく環境とそのルールなのだ。
「うっかり」「不器用」「おっちょこちょい」「不思議ちゃん」
昔から付き合ってきた特徴が、社会に出てからことごとく減点の要因となっり、どんどんあひるの足を引っぱっていく。
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昔は、もっと生きやすかった
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あひると「うっかりさん」
私の長年の友の一人、「うっかりさん」との付き合いは、記憶だと小学生の時からだ。
体操着、ぞうきん、習字道具、社会科見学で花屋でパンジーを買うから特別に持っていくことになった100円玉、、、色んな物を忘れては焦り、テレフォンカードで学校前の公衆電話からこっそり家に電話。幾度となく母を召喚した。
漢字の小テスㇳが前から順番に配られると、開始の合図がはじまる前に、なぜか全力で解きにかかり、担任を唖然とさせた。
いたって真面目な人間がそういう失態をするものだから、「まったく、あひるさんは、、、」と先生も友達も呆れたような困り顔をしていたけれど、その顔にはどこか優しさがあった。
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小学校の卒業式の後、卒業アルバムの後ろの空白ページにメッセージを書きあった。クラスの三分の一程度。8名程のメッセージが埋まった段階でドキドキしながらちらっと確認してみると、「お前は大事なときにミスするから気をつけろよ」「君、おっちょこちょいなんだから気をつけてね!笑」「変なミスだけはするなよ」その類のメッセージが並んでいた。
明日からは皆離ればなれ、いわば最後に送るメッセージとして伝えたいのがこれかーー心底がっかりした。
「最初に書いたのは確か、、、」当時の私は、この流れを作った犯人をきっと険しい表情で探していたが、今思うと、みんなそれぞれに心から私の未来を案じていたのかもしれない。
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あひると「不器用さん」
2人目の親友「不器用さん」との最初の思い出は、、、これも遡ると
相当幼い頃になるが、決定的に突きつけられたのは、中学生の時だった。
結論から言うと、バスケが絶望的に下手だった。
朝一番に学校に行き、外を走って体力づくりをし、誰よりもシューティングに時間をかけているにも関わらず、頭ひとつ抜いて下手だった。あの温厚な安西先生も舌打ちするレベルとお考えていただければと思う。
個人のシューティング段階ではまだましなのだが、試合となるとスリーポイントシューとはおろか、外してはいけないとされるレイアップすら当たり前のように外す始末である。
さらに、敵にナイスパスを送るはおろか、テンパってオウンゴールすらしかけたこともある。(補足:手を使うバスケはサッカーと違い、オウンゴールは意志があるスパイ以外起こせるものではない)
とりあえず、この努力の量でこれはちょっと普通じゃないな、と我ながら感じていた。
中学、高校の6年間のバスケ生活により、不器用という劣等感、そしてそのハンディに屈しないという精神力の自負が心の中でどんどん育っていき、
あひるの中で「不器用な努力家」という確固たるアイデンティティが確率したのだった。
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あひる、社会に出て、沼る。
学生時代のあひる
もうみなさんもお気づきだと思うが、あひるはシンプルに出来が悪い人間、(鳥)だ。
通信簿はオールA、中学ではオール5、高校は県のトップ校、大学は早稲田
ーーこれらはすべて、頭の良さではなく、人一倍のあきらめの悪さと執念の賜物である。
人より理解が遅いため、覚えるのが遅いため、習得に時間がかかるため、
人の何倍も時間をかけるといった力技で、今まで運良くしれっとするっと切り抜けてきただけなのだ。
学生時代は、人よりテレビを見ないで、携帯を見ないで、寝る時間を削って、筆記テストで良い点数をとればよかったし、提出物を時間をかけて自分で納得がいく完璧なものに仕上げればよかった。
教科書を忘れても、言い間違いが多くても、自分の要求を伝えるのがあまり上手じゃなくとも、学校という教育の場では、それは注意の対象にはなっても、評価に関係することはない。
そして何より、教育過程における「不器用な努力家」は、先生にかわいがられる傾向にすらあった。
中学時代のバスケ部の顧問の先生は、あひるを試合にはなかなか出してくれなかったが、「お前は不器用だ。でも人一倍頑張っている」そういって、二カッと笑い頭を撫でてくれたものだ。
教育過程は、あひるにとって泳ぎやすい川だった。
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社会とあひる
学生時代はみんなと一緒に川や湖をスイスイ泳いでいたあひるたち。
社会に出てフィールドが空となる。
「飛びなさい」の指示のもとで、一斉に全力で翼を動かす。
社会に出て会社に入る。
そこでは残業があり、業務時間が管理されている。だから、仕事の生産性は評価に直結する。
アウトプットは、期限ギリギリに100%の完璧なものを出すのではなく、サササッと60%のものを出して上司から都度アドバイスをもらいながら完成させていくようなスピードや器用さを求められる。
会社での決められたフローの失念や契約書の記載漏れは、「おっちょこちょい」では片付けられず、時として「社会人としての資質」にまで直結する問題に発展。
会社名や担当者名の言い間違いは、クライアントへの失礼に値する。
上司の信頼を勝ち得るには、自分の業務状況の細かな報告、成果のアピールが必要。
バタバタバタ、バタバタバタ、、、動かして動かして、気づく。
「あれ、みんな飛んでるのに、私だけ全然飛べない」
そこではじめて気づく。自分だけがあひるで、まわりのみんなは鴨だったことにーー「みにくいあひるの子」の逆パターンである。
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あひるの中でもさらにタチが悪い「早稲田産あひる」
あひるの中でも、真面目さと往生際の悪さで生まれてしまった高学歴あひるは、さらにタチが悪い。
なぜなら、今まで「勉強」という学生の本業において、能力ではなく執念による成功体験がある為、社会に出てもそれが捨てきれず、「努力すればいつかなんとかなる」という信仰にとらわれているからだ。
早稲田産あひるである「あひる」はその代表格で、勉強で高みを目指したように、仕事でも周りの早稲田産鴨と同じフィールドで闘うことを自分に強いてしまう。
たしかに、努力で6メートルくらい飛べちゃったりすることもある。
だが、生まれた身体的特徴上、やっぱり飛ぶのは難しくて、飛べても6.3メートルなのである。
早稲田産あひるは、その持ち前の真面目ゆえに、目標と実際の能力・結果との乖離に、もがき苦しむ。
さらに「高学歴なのに使えない」「先生に言われた通り勉強しかしてこなかった」そんな言葉を掛けられ、徐々に自信をなくし、精神を病んでいく。
だが、経験する苦しみや挫折の数と比例して、少しずつ手に入るものがある。
それは、「あきらめ」という名の開放だ。
早稲田卒、落ちこぼれあひるの末路
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「こりゃだめだ、飛べねぇ。ぶっちゃけ、努力とかそういう問題じゃない」
鳥図鑑を開き、あひるの生態を調べる。「あ、やっぱり5メートルしか飛べないじゃん」
早稲田卒、落ちこぼれあひるは成れの果てに、図鑑を開いて「あひる」を知り、空を飛ぶことをあきらめる。そして、長年の劣等感や苦しみからの解き放たれ、自分の本当の居場所を探し始める。
先輩方の中には、ねずみが引っ張る夢の国でいきいきとショーに参加したり、保険会社の広告塔になりCMに出演したり、サトシを困らせ番組を盛り上げたり、、、大いに活躍している方々もいる。
今、早稲田卒の一羽の落ちこぼれあひるも、敗れ、傷つき、ボロボロになった末、やっと自分の舞台を探し始めた。
その舞台の一つが、このエッセイである。