アーチー・シェップ 10 「ア・シー・オブ・フェイセス」 Archie Shepp – A Sea Of Faces
Tracklist
A Hipnosis 26:10
Composed By – Grachan Moncur III Maracas – Bunny Foy* Tambourine – Charles Greenlee
B1 Song For Mozambique / Poem: A Sea Of Faces 8:05
Composed By – Semenya McCord Lyrics By [Poem] – Archie Shepp Soprano Saxophone, Vocals – Archie Shepp Tambourine, Vocals – Beaver Harris Vocals – Charles Greenlee, Rafi Taha
B2 I Know ‘Bout The Life 5:20
Composed By – Archie Shepp Piano – Archie Shepp Words By – Aishah Rahman
B3 Lookin' For Someone To Love 9:34
Composed By – Cal Massey
Recorded August 4-5, 1975 at Phonogram Studios, Milano, Italy.
Credits
Bass – Cameron Brown
Drums – Beaver Harris (tracks: A, B2, B3)
Piano – Dave Burrell (tracks: A, B1, B3)
Tenor Saxophone – Archie Shepp (tracks: A, B3)
Trombone – Charles Greenlee (tracks: A, B2, B3)
Vocals – Bunny Foy* (tracks: B1, B2)
Engineer – Pino Ciancioso
Black Saintsからの1枚でミラノ録音。
この時期辺りになると契約が独占ではなくなったのか、複数レーベルから多くのタイトルが出るようになる。特に76年は10タイトル。それだけ精力的であったとも言えるかもしれないが、ついていくのは大変だ。
その中で、これは好きな一枚。
何が好きかというとA1の"Hipnosis"が特に良い。この時点ではグループからは離れてしまっているが、グラシャン・モンカー3世の曲で後のラウンジ・リザーズなどにも通じるテイストがあり、繰り返されるメロディーというかリフはストレンジなのだがポップである。そのリフにのって25分強の演奏が繰り広げられる。(それもフェイド・アウトで終わっている。)
全体にシェップも好調だが、ビーバー・ハリスもこの曲にハマっていて熱演である。さらにデイヴ・バレルが良い。この人のプレイにはドーピング感があるが、この曲でのソロの入り部分でのスピード感などなかなかのもので、後半戦のコワレタ感じもこの曲に合っている。
B1の"Song For Mozambique / Poem: A Sea Of Faces"はシェップのイントロの後、詩の朗読と歌が始まるヴォーカル曲。作者のSemenya McCordは同時期に発売された"There's A Trumpet In My Soul"にもアレンジとヴォーカルで参加しているが、マサチューセッツで活動している女性。シェップは71年からマサチューセッツの州立大学で教えているがそのあたりでのつながりなのだろうと推測される。悪くないトラック。
B2はシェップがピアノでこれもヴォーカル曲。映画の挿入曲のようでこれはこれで良い。
ヴォーカルの Bunny Foyはハーレム出身で60年代にシェップと知り合っているようだが、70年代にこの盤を含め3枚の参加レコードディングがあり、どれもイタリアでの録音だ。
B3はアッティカ・ブルースにも2曲提供していた、カル・マッセイの曲。5度進行の至って普通の曲をルーズに演奏していて、取り立ててコメントすることもないが、このアルバム的にはハマっている。
とB面は普通に気持ちよく聴くことができる。全体に満足感があるのは、やはりA面全体を占める"Hipnosis"の演奏があるからで、B面の特に2曲目、3曲目はサントラに入っていそうなトラックで、まあ、これはこれで好感が持て、全体の構成上悪くはない...といった感じだ。
キャリアの前半戦、A面で何かチャレンジをし、B面は複数ホーンでアレンジに捻りのあるジャズをやっていたシェップであるが、70年代に入るとパースペクティブがぐっと広がり、アフリカン-アメリカン・ミュージック+よりアフリカ的なものを取り込み、さらに歌ものが数曲入るようになった。音楽を見る視座がある種プロデューサー的になったのかもしれない。これはこれで良いと思う。ただ70年代も後半になるとフォーカスがなくなっていく感じで手が出なくなるのである。