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「エクスプレッション」 インパルスのコルトレーン 9 John Coltrane on Impulse 9 " Expression "
コルトレーンが自ら選曲に関与した最後のアルバム。
65年の年末にピアノがマッコイ・タイナーからアリス・コルトレーンへ代わり、66年の初頭にエルヴィン・ジョーンズが抜け、ドラムスがラシッド・アリ一人になる。
66年の初頭はここにパーカッションのレイ・アップルトンを加え、ファラオ・サンダースを含むセクステットで活動した。スタジオ録音としては後年発売の"Cosmic Music"に入っているセッションを残しているが、アップルトンのセッション参加は2回あるのみ。その後は主にクィンテットで活動し、66年はライブでの活動を主としたようだ。("Village Vanguard Again"と"Live In Japan"が残っている)
67年に入ると2月、3月に各3回、詳細日付は不明だがその他に1回、と計7回のセッションを行い、そこからコルトレーン自身が選曲して、このアルバム"Expression"が成立した。65年の半ばからレギュラー・メンバーとして活動をともにしたサンダースは上記のうち2回のセッションに参加したのみで、且つこのアルバムの収録曲ではB2の"To Be"でピッコロを演奏するのみとなった。ただしこの後5月に行われた最後のレコーディング・セッションには参加している。
内容だが、なんといってもドラムスがラッシッド・アリ一人になったことが大きい。結果リズム・キープを主としないドラミングに本格的に移行し、音楽の形が65年に録音された"Meditations"までの諸作から大きく変化しているといえる。
アリとコルトレーンの共演ものでは後に"Interstellar space"として発売された67年2月22日のデュオ・セッションが著名だ。何故かマスタリングがヴァン・ゲルダーではなく妙なキックの持ち上がり方で、音に関しては「?」がつくのだが、よい演奏である。これはコルトレーンが生きていればアルバム用に1テイクを選ぶはずが、全テイク入れて1枚にしたという風情である。エルヴィンとの"Vigil"と比較するのも面白いかもしれない。
ピアノがアリス・コルトレーンになったことも大きい。左手のリズムが目立ったマッコイ・タイナーから、アリスへのメンバー・チェンジはやはりリズム・キープを要しない音楽の方向を考えると納得できるものがあるし、良い効果を生んでいる。
このアルバムはよく「静謐で瞑想的」と形容される。これはコルトレーンの死が同年7月であることと、このアルバムの追悼盤的ポジションによって増幅された面もあるが、確かにA面の2曲、特にフルートとピッコロをフィーチャーしたA2など多分にそのような雰囲気がある。A1の"Ogunde"も饒舌ではあるが、シャウト感はない。ファラオ・サンダースがメンバーに加わって以降、コルトレーンのプレイ・スタイルもその影響下に入り、歪みやシャウトを取り入れる方向に進んだが、このセッションに関しては、また異なったフェイズに移行した印象がある。
B面はA面とは若干様相を異にしいて、個人的にはこちらをよく聴く。B1の"Offering"は"Love Supreme"のフレーズで始まり、全体にゆったりとした流れの中、コルトレーンは饒舌である。途中アリとのデュオ部分では何か憑かれたよに吹くのであるが"Meditation"のような激烈さはない。これはバッキングによる影響も大であるが、何か自己のプレイに対して没入しながらも俯瞰的なところが出てきている印象を受ける。
そのあたりはB2"Expression"にも感じる。この曲の後半部など大変饒舌で激烈でもあるのだが、ここに来て一段とトーン・コントロールの自在さが増し、表現のフェイズが変わった感がある。このアルバムにはファラオ・サンダースがテナーで参加するスペースがなかったわけだが、このような演奏を聴けばそれも納得がいく。
コルトレーンはいつごろ死期を悟ったのだろうか?この後も健在であったならどのような音楽を創造したのだろうか?まったくもって俗な問いであるが、この作品の充実ぶり、特にテナーの自在さを聴く度に、次の作品を想像してみたくなるのである。
コルトレーンは「常に前進し続けた」というイメージを多くのジャズ・ファンが持っている。それはアーティストとしての真摯で求道的な姿勢が音楽から現れ出て来ることによるのだが、この最後の"Expression"を聴くと、当たり前だが、楽器の可能性の追求に関してもコルトレーン はとことん突き詰め、前進したのだとわかるのである。
この後にオラトゥンジ・センターでのパフォーマンスを記録したライブ盤がある。はっきり言って録音状態は悪い。が、その激烈さたるや形容のしようもなく、最後にして最高の演奏であったことが伝わってくるのである。
インパルスのコルトレーンということで順を追って紹介してきた。一番最後が最高と断言できるのがコルトレーンの素晴らしさだ。