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初期のセシル・テイラー 3  「ジャズ・アドバンス」 "Jazz Advance" Cecil Taylor

さて、セシル・テイラー・カルテットはこのメンバーで57年のニューポート・ジャズ・フェスティバルに出演し、その実況盤がヴァーブからリリースされている。それがYouTubeに乗っている。

聴いてもらえばわかるのだが、新人バンド感満載で演奏はハシリまくる。では面白くないのかと言えば、そうではなく、セシルのヴィジョンは伝わってくる。

ニューヨーカーにジャズ批評を書いていたホイットニー・バリエットは、当時のライブにふれた観客の一部が「まるで自分たちのいる地面が耐えられないほど熱くなってきたかのように、そわそわし、ささやき、いらだって、テントを出たり入ったりした」とレポートしている。一方ナット・ヘントフは「ひどく熱心に聴いていた客の中核がステージに向けて走った--ほんとうに走っていったのだ--そして彼のレコードが手に入るものかどうか知ろうとした」とレポートしている。

このように、未知のものに出会った時の典型的な反応を当時の観客はしていた様子で、一部は未完成ながらの可能性を感じていたのである。
思うにそこから60年を経た現在も反応はそれほど変わらないのではないだろうか?反対に「例のやつ」的な知識を持っている層が増えてはいると思うので、一部は当時より冷たくなっているかもしれない。また、当時は同時進行の新奇なものとして現代音楽が存在し映画音楽などとして盛んに使われていたこともあって(例えば「2001年宇宙の旅」のリゲッティetc..)ことによるとこの手の音楽に今より関心があったかもしれない。

セシル・テイラーは長いキャリアの中で、スタジオでのレコーディング機会に恵まれたとは言えない。このアルバムのプロデューサーでレーベル・オーナーであったトム・ウィルソンとはこのアルバムを含め59年までに3枚。内一枚は前述のコルトレーンとの共演盤で現在は「コルトレーン・タイム」というタイトルで、コルトレーンのリーダー・セッションとしてリリースされている。実際に聴くとこの扱いも頷けなくはない。

もう一枚が「Love for Sale」で、コール・ポーターのカヴァーに今回の様な調子で3曲取り組んでいる。

その他ナット・ヘントフの監修でコンテンポラリーから「Looking Ahead」。そしてナット・ヘントフのプロデュースによりキャンディドから60年に「The World of Cecil Taylor」となり、ここで一応の形となったのだが、それまでアンサンブルとしてセシルのヴィジョンをどの様に実現するのか?模索が続いて行った感じで、その作品も完成品とは距離のある出来であった。

この辺りを続けて聴くと、セシルのヴィジョンに周囲が巻き込まれていく過程のドキュメンタリーを観るようである。この「セシルのヴィジョンに周囲が巻き込まれる状況」はその後も続き、62年のギル・エヴァンスの「Into the Hot」、66年のブルー・ノートでの2つのセッション、68年のJCOAのセッションとどんどんエスカレートしていく様子が少ない記録を通してではあるがよく伝わってくる。

ジャズというフレームが所謂「ニュー・ジャズ」「フリー・ジャズ」の進展により、このような拡大を見せたことは、その前のヨーロッパ音楽の進展を知っていれば、全くの必然であり、どこかでこのような事態になったには違いないのだが、その先鞭をつけたのがセシル・テイラーであったことは動かしがたい事実である。

理屈的には色々先行事例はあったと思うが、実際にパフォーマンスとして形にして現前させたことの価値は大きい。コンセプトやヴィジョンは十全に形になって現れて、初めて人々に明らかになるのであり、特にジャズに於いて、それは実存に根ざした行為としてしかなされ得ない。チャーリー・パーカーが良い例である。セシル・テイラーもその役割を果たしたと思うし、エリック・ドルフィーやオーネットもそれぞれその役割を果たしたと思う。

それぞれに対してコメントすると長くなるし、オーネットに関してはこのブログでさんざん取り上げているからそちらに譲るが、例えば64年のミンガスのバンドの映像が残っているがここででドルフィーにソロが回った時の宇宙人感といったらなかったと思う。一人異世界からやってきたようである。


セシル・テイラーはもっと早い時期からこの状態であり、周囲が言葉を理解するにそれなりの時間がかかったわけである。

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