初期のセシル・テイラー5 「ザ・ワールド・オブ・セシル・テイラー」 "The World of Cecil Taylor" Cecil Taylor
Tracklist
A1 Air 8:45 A2 This Nearly Was Mine 10:56 A3 Port Of Call 4:25
B1 E.B. 9:58 B2 Lazy Afternoon 14:53
Credits
Piano – Cecil Taylor
Bass, Liner Notes – Buell Neidlinger
Drums – Dennis Charles*
Tenor Saxophone – Archie Shepp (tracks: A1, B2)
Engineer – Bob D'Orleans
Supervised By – Nat Hentoff
Recorded at Nola Penthouse Sound Studios, New York City, October 12th and 13th 1960.
61年リリースの「The World of Cecil Taylor」は少なくともジャズ・ファンの間にセシル・テイラーの名前を知らしめ、その音楽を認知させることに大きく貢献したアルバムであろう。当時アメリカに取材に行ったカメラマンから聞いた話だが「入ったストリップ・バーで『Air』がかかった。」とのことだから、なかなかの広がりだ。
56年録音の「Jazz Advance」から4年の歳月を経てビュエル・ニードリンガー、デニス・チャールズとのアンサンブルも熟度を高めている上にこれが初レコーディングだというアーチー・シェップが2曲で参加、このセッションの歴史的価値を高めている。
セシルの次のレコーディング作はギル・エヴァンスの「Into The Hot」(62年、これはギル・エヴァンス的には名義貸し的作品でカヴァーと名義はエヴァンスだか中身には参加していない)であり、アルバムの半分のスペースをもらっているのだが、ヘンリー・グライムス(B)、サニー・マレー(Dr)にメンバー交代となっている。ここではまだリズムをキープしているが、この後ヘンリー・グライムス抜きで渡欧。ベース・レス・トリオとなったセシルのグループはドラムがリズム・キープの役割を離れる方向へ進むことになり、音楽的に大きく変貌することになる。
であるから、セシル・テイラー名義のアルバムでリズムが一定にキープされる作品はこの作品が最後となった。当時はこの「The World of Cecil Taylor」にしても、その作品をどう評価するか?踏み絵のような役割を果たしたのだと想像できるが、ここまではまだ、前述のようなストリップ・バーで選曲可能な枠に収まっていたわけで、言い換えると、DJがつなぐことのできる音楽があり、流れの中に入ることのできる作品であったわけだ。
冒頭の「Air」はセシルのオリジナル中で屈指のポピュラリティーを持つ曲ではないだろうか?何しろ出だしのチャールズのパーカッションとそれに続くセシルのクラスターは強烈な印象を残す。ライナー・ノーツのニードリンガーの文章によると、このレコーディングとの前後関係は不明であるが、ライナー執筆時に彼らはリビング・シアターでロング・ランとなった芝居「The Connection」に出演しており、この「Air」を第一幕の最後、最も絶望で動揺した場面で演奏したのだという。「『Air』は冷徹なパルスに逆らい且つバランスする、訴えるような質を持っている。このコンビネーションは観に来ていた友人曰く『コントロールされたカオス』だ。」とニードリンガーは書いている。
ラストにこれまでもよくあったデニス・チャールズとの掛け合いがあり、いつものリズムを崩すようなカット・インは健在であるが、今回は収拾がつかなくはなっていない。
この後どんどん1曲の演奏時間が長くなり、曲という枠組みが溶解し最後には何か一生かけて1曲を演奏しているような印象を与えるようなセシル・テイラーのキャリアにおいて、この「Air」が有り体に言うと一番のヒット・トラックかもしれない。大抵のセシル・テイラーに興味を持った人間はこの曲の冒頭のサウンド・イメージをいつでも呼び出せるハズである。
A2の「This Nearly Was Mine」はセシルのカヴァーの中では原曲のフレームを離れず、その中に止まった印象である。これはベースが原曲の調を離れないことが一番の要因ではある。ライナーの中でニードリンガーはここに現れるセシルの「歌う(sing)」能力に注意を向けている。
さらにA3の「Port Of Call」については「最初の1音から最後の1音までが不可避なやり方で必然性をもって並べられている」とニードリンガー指摘しているが、この曲は随分構成され、書かれた印象の曲で、4分20秒という短さをもあって、セシルの楽曲の中では珍しく全て書かれている感を与える。左手はコードとリズムを提示し構造を支え続ける印象である。
B1の「E.B .」はeverybodyの意味とのことであるが、印象的なリフが曲を通して続き、そこにピアノのソロが現れる。後半に若干の展開があるが、リフで持って行く印象は変わらない。
B2の「Lazy Afternoon」は冒頭ピアノによる長い印象的な導入がある。ニードリンガーは「セシルは芝居に高い関心をもっていて、彼の作品は舞台上の役者達のように、異なったムードを持った一つ一つの要素を並置し構成する」と書いているが、この曲の導入におけるテーマの曖昧な提示と、その後アーチー・シェップが入り提示される印象的に提示されるテーマ・メロディーの対比のあり方など、確かに劇的構成という言葉がフィットする。
ニードリンガーは冒頭のピアノとベースによる部分は「ラヴィ・シャンカールの音楽におけるシタールとタブラのやりとりを想起させる。」とし「アーチー・シェップとデニス・チャールズがこの東洋的なあり方の中に壁を突き破るように入ってきて、際立ったアメリカ的風景を打ち立てる。アーチーは説教師と化すのだ」と書いている。
「Looking Ahead!」のライナー・ノーツでもセシルが東洋の方法を取り込んだと語っていたが、このころ随分東洋音楽ブームだったのかもしれない。オーネット・コールマンの「Lonely Woman」でドローン的なベースの使い方がチャーリー・ヘイデンによって提示されたが、これも「インド音楽の影響」なのだと考えられなくもないわけで、いわゆる「ニュー・ジャズ」を標榜した面々が同時的にインド音楽に注目したわけだから、何か大きなイベントなりがあったのかもしれない。
ということで、今回も1曲1曲簡単ではあるが、ライナー・ノーツから気になる指摘を抜粋しながら書いてみた。繰り返しになるが、セシルがリーダーのレコードでドラムがタイム・キープする作品はここまでであり、さらにベースが曲のコード進行に忠実であるのもここまでであるし、後はドローン的な使い方が優勢になっていき、レギュラー・グループではしばらくベース・レスが常態化する。強引な言い方にはなるが、要するにジャズとして永らくイメージされてきた音楽の枠組みからはどんどん遠のいて行くことになるのである。
それでも彼の音楽がジャズであるのは、本人があくまでジャズの系譜の中に自分を位置付け続けたことと、ジャズのイノヴェーターとして在ろうとしたこと、そして「ブルース」の根に立ち戻る意識が常にあったこと、によるのではないだろうか。