オーネット・コールマンのレコード 05 "This is Our Music " The recordings of Ornette Coleman No.05 "This is Our Music "
Tracklist
A1 Blues Connotation 5:14
A2 Beauty Is A Rare Thing 7:12
A3 Kaleidoscope 6:33
B1 Embraceable You 4:54
B2 Poise 4:37
B3 Humpty Dumpty 5:20
B4Folk Tale 4:46
Credits
Alto Saxophone, Liner Notes – Ornette Coleman
Trumpet [Pocket] – Don Cherry
Bass – Charlie Haden
Drums – Ed Blackwell
Engineer [Recording] – Phil Iehle, Tom Dowd
Supervised By [Supervision] – Nesuhi Ertegun
Notes
Recorded in NYC, July 19, 1960 (A1, A3), July 26, 1960 (B1, B3) and August 2, 1960 (A2, B2, B4)
前作以降オーネットのカルテットはライブを精力的にこなした。59年11月17日からのNYファイブ・スポットは2週間の出演予定が評判を呼んだおかげで大幅にのび結局60年の1月いっぱいまでとなる。さらにタウン・ホールでのコンサート、その後は各地をツアー、4月に再びファイブスポットに戻り7月まで...といった具合だ。
その間ビリー・ヒギンズがキャバレー・カードを剥奪され、代わりにエド・ブラックウェルが加入。オーネットはブラックウェルをかねてより評価していたのだから、これはマイナス要因とはならなず、新しい刺激となったハズである。
この作品「This is Our Music」はこのメンツで7月19日、26日と8月2日、合計3日間のセッションの結果から構成されている。少々意外なのだが、ブラックウェル入りのカルテットで且つヘイデン参加の録音はこの一連のセッション限りである。
ブラックウェル、ヘイデンとドン・チェリーは後年のオールド&ニュードリームを聴き慣れているせいもあるのかもしれないが、なにか相性の良さのようなものを感じる。A2、A3など、3人になった時のグループ・インプロビゼーションが良い。但し、今回はドン・チェリーのソロ・スペースが全体に少なく、惜しいところである。
さて今回もライナー・ノーツをオーネット本人が書いている。
「我々の音楽で一番重要なのはインプロビゼーションである。極力自然な形で各々が自由な表現を試みる一方全体をまとまった作品として作り上げねばならない」とした後に、インプロビゼーションの説明をする。
「グループ・インプロビゼーションは決して新しい考えではなくデキシーランド・ジャズの例をあげるまでもなく、初期のジャズでは盛んにおこなわれていた。スウィング時代に入りリフを基調とした上でのソロの連続というインプロビゼーションのスタイルが主流となった。モダン・ジャズにおけるインプロビゼーションはよりメロディックになりハーモニーも大きく進歩した。我々はジャズにおけるこの3つのインプロビゼーションの形態を混合し、プレイヤーにより自由を、聴き手により楽しみを与えようとするものである。」とし、さらに「クラッシックにおいて主役は作曲者であるが、ジャズにおいてはプレイヤーである。作曲者は必要だがその作品の価値を高めるのはプレイヤーの仕事である」としている。
引用が長くなったが、この時点でオーネットは歴史に引き寄せて自分たちの音楽を定義する必要を感じたし、求められたのであろう。新しいスタイルが世にでる時、どこかで自己の歴史上の立脚点を明らかにしなければならないのが常であるが、オーネットは、ライブの観客が増え、注目が大きくなり、同時に批判も大きくなったこのタイミングでその作業の必要性を認めたのだろう。
さて、その観点からして、このアルバムでまず目につくのはガーシュインの「エンブレーサブル・ユー」のカヴァーである。上に引用したように自己の音楽を歴史上に位置付け、さらに「ジャズの主役はプレイヤー」としたわけだからこのジャズ史上の大スタンダード・ナンバーをどう演奏するのか?は当時オーネットの賛美者にとっても批判者にとっても気になるところである。
冒頭にアルバート・アイラー的、黒人霊歌風ファンファーレが演奏され、そこから「エンブレーサブル・ユー」に入っていくのであるが、まず曲のフレームの外にテーマを付け加えたわけである。そこから「エンブレーサブル・ユー」のフレームをギリギリ表現しながらの演奏が始まるのだが、この元々の曲のフレームの上をゆらゆら歩いていくような演奏がとてもスリリングで良い。曲のフレームの中に収まるでもないのだが、全く外れてしまうわけでもなく、ぎりぎり「エンブレーサブル・ユー」を表現するという感じだ。
冒頭のファンファーレはラストにも演奏される。これは「エンブレーサブル・ユー」のフレーム外に敢えて設けたテーマであるのだから、オーネットはこれによって何か「エンブレーサブル・ユー」に対して言いたいことがあったわけである。「エンブレーサブル・ユー」とニグロ・スピリチュアル(昨今ではアフリカン・アメリカン・スピリチュアルと言うそうです)、ブルースとの関連づけを試みているとも言えるし、冒頭にスピリチュアルを持ってくることで、「エンブレーサブル・ユー」をそのフレームの中にとりこんで解釈することを宣言し、より広いフレームを設定してインプロビゼーションの自由を得ているのだとも言えるだろう。
本人は「『エンブレーサブル・ユー』は我々が録音する最初のスタンダードであるのだが、我々はスタンダードが一般的に演奏されるやり方において、できる限りの自発性を込めて演奏した。」としている。
このほかA-2の「ビューティー・イズ・ア・レア・シング」などにオーネットの良さが出ているのだが、他に関してはライブでの勢いを持ち込み吹きまくる感じは良いのだが、新鮮味には欠けた印象だ。若いバンドを引き連れて発想的な部分で消耗していたのかもしれない。「ライブの勢いと経験」がバンドに付加されそれを活かしてのレコーディングであるから、その部分は認めるのだが、どうも前作・前々作と来たところで新鮮味が薄れていく時期にさしかかっていたのかもしれない。
アルバムとして、A面は構成的に悪くない。B1『エンブレーサブル・ユー』も興味深い、B面のその他がどうも今ひとつである。B2の「Poise」はA3のヴァリエーションに聴こえるし...etc..
これは、テンポのパターンがバラード意外2種類であることも関係しているのかもしれない。さらに前作までにあったような、後にオーネットのスタンダードとして認識される類の曲が少ない。それよりもグループ・インプロビゼーションを要点にしたのであろうが、その部分でオーネットが精彩を若干欠いた感があるので、どうも全体としての印象が薄くなるのである。
などなど書いたが、ついつい新しい展開を期待するからこのような感想になるのであって、ヘイデンとブラックウェルでのカルテットの作品で、良作であることにはかわりない。
この後「FREE JAZZ」ということになる。常に新しいということを求められ続ける立場に身をおいたオーネットの奮闘は続くのである。