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アルバート・アイラー 「スピリチュアル・ユニティー」 1 "Spiritual Unity" Albert Ayler

Tracklist
A1 Ghosts: First Variation   A2 The Wizard
B1 Spirits   B2 Ghosts: Second Variation
Credit
Bass – Gary Peacock
Drums – Sunny Murray
Saxophone, Composed By – Albert Ayler
Recorded in New York City, July 10th, 1964.

この"Spiritual Unity”はどうにも特別な盤である。聴き終わるといつも何か具体的なものがゆっくりと身体を通り抜けていったような感覚に襲われる。「時間の振動」「ヴァイブレーション」。レコードをかけるたびにその「時間=ヴァイブレーション」が現れ、聴く者と共振し、通り過ぎるのである。全ての音楽に言える全くの一般論だと言われればそれまでだが、聴いた後にそれに思い至るような盤は少ない。アイラーのホーンにシンクロしていくと、何らかの特別な時間を通り抜けたようで、儀式に参加したようでもある。

この盤に関してもアイラーに関しても、他で語り尽くされている感があり、未読であるがずいぶん詳細なアイラー本も日本で出ているようでもあるので、ここでわざわざ何か書くこともないかとも考えたが、ESPの初期の盤を何枚か紹介し、 最近"Holy Ghost: The Life And Death Of Free Jazz Pioneer Albert Ayler"(2022) by Richard Koloda ***(関係者が亡くなってしまった後のこの時期であるのでまとめ編集的な著作)を読んだこともあって、以下覚書程度。伝記的な事項に関してはその"Holy Ghost"に依拠し、若干長くなってしまいそうなので、何回かに分けて投稿します。

wikiなどの繰り返しになってしまうが、まずは簡単な経緯確認から。

アルバート・アイラーは1936年クリーブランド生まれでセシル・テイラー(’29)やオーネット・コールマン(’30)の音楽に触発された世代である。サックス奏者だった父親のエドワードが早くからサックスを仕込み、すぐに上達。例にもれず教会での演奏などを経て、1953年にはリトル・ウォルターのツアー、56年ごろにはロイド・プライスのツアーに参加。高校卒業後は軍隊で軍楽隊に入り、59年にフランスのオルレアンに赴任。61年に除隊となるまで、オフには地元オルレアンのクラブのほか、ヨーロッパ各地に赴き演奏。(ペーター・ブロッツマンともこの時期にセッションしたとのこと)基地と音楽の関係は日本でもよく言われるが、アイラーに関しても軍隊でのヨーロッパ経験は大きく、ある種コスモポリタン的な視点を得たのだと思う。その後すぐ、62年のスウェーデン移住はこの経験なしにありえなかっただろう。

そんなわけで、アイラーは62年にスウェーデンに渡るわけだが、本人曰く「その時は自分のことがわかっていたとは言えず、音楽もまだ良く形を成していなかった」*とのこと。ただ当初から軍隊時代に根を持つフリー・フォームでのプレイ・スタイルだったようで、仕事を得たクラブでは不興をかったようだ。本人的にはスウェーデンのオーディエンスがフリーに一番寛容だったと軍隊時代に感じた様子でその経験から移住地に選んだわけだが、そう簡単でもなかったようだ。

そんな折にセシル・テイラーのユニットがジャズ・ファンには著名なクラブである「ゴールデン・サークル」にやってくる。アイラーはすぐに会いに行く。

2005年のドキュメンタリー"My Name is Albert Ayler”*でサニー・マレーが当時の事情を話している。
「彼(アイラー)は彼の発明した新しい音楽をほぼ1年間演奏していて、『あなたたちのことを待っていた。是非一緒に演奏したいし自分はできる』と言った。」とのことで、それをテイラーに取り継いだのだが当時”pure anti-social”だったテイラーの答えはNOだった。だが、結局マレーとライオンズがテイラーのオーダーに反して彼に飛び込みで演奏させたのだという。「アイラーのプレイは泣き叫ぶようで、そんなプレイは誰も聞いたことがなかった、セシルはピアノの椅子から4インチも浮き上がったがそれがとても印象的だった」とマレーは語っている。

この62年時点でのテイラー・ユニットとアイラーの共演がyoutubeに上がっていた(ホーリー・ゴーストのボックス・セット収録)。セシルとマレーの壮絶なやりあいの上に、ライオンズとアイラーが入ってくるわけであるが、アイラーは8分あたりから入ってくる。饒舌なライオンズに引っ張られた感はあるが片鱗を感じさる内容で、特に15分あたりで再度入って来たおりのプレイはライオンズを凌ぐ存在感がある。

最初のレコーディング"Something Different!!!!!!”(1963)もアイラーのプレイ・スタイルだけ取ればこれに近いわけで、この時点でアイラーのスタイルはほぼ固まっていたと言える。

楽音だけを表現するわけではないこのスタイルがどのようなルーツから来たのかということはリトル・ウォルターとの共演の過去、マレーの「アルバートは基本的にSoulやR&Bのサックス奏者だった」などの証言から「ホンカー系に見られる」など諸々の解説が可能かもしれない。
ただ、この在り方「ミュージシャンたるもの次の瞬間にどんな音として世界に現前するかが問題だ」といった、異論はあると思うがいわば「実存主義的な態度」の始まりがアイラーであると個人的には言いたくなる。この後、例えばフランク・ライトだったりチャールズ・タイラーだったり、もっといえばファラオや後期のコルトレーン、さらにペーター・ブロッツマンなどなどのホーン奏者に通じていく「この態度」とその結果としての「存在のネジれを体現するようなサウンド」の最初の十全な現れがアイラーであるのだとしても言い過ぎではないように思う。この系譜のプレイヤーがどちらかというとスピリチュアル・ジャズに括られる「神」に言及し出すアーティストが多いことを考えると「実存主義的」という言葉は何かずれているようにも思うが、音に込めらる意志、音の現前が特に問題になるスタイルであることは確かと思う。

このことに関してサニー・マレーの後釜として一時アイラーのグループに在籍した、ロナルド・シャノン・ジャクソン(セシルやオーネットの作品でもお馴染みの)がアイラーとの音楽体験に関して興味深い発言をしているので引いておく。

「(前略)両足と両手、四つのすべての動きを最大限に使って、それぞれに完全な集中を注いで演奏するんだよ。アイラーの音楽は全体の構想がとにかく壮大だった――全霊的な自己(the total spiritual self)というものは、同時に何百万通りもの形になり得るが、それをある瞬間に簡潔な一つの形にする。それは、ダムの栓を抜かれるような感覚だった…。アルバート(アイラー)は、僕の演奏を本当に解放してくれた。これまで『完全に演奏する』(totally playing)という体験をしたことがなかったんだ。(後略)」****

まるで西田哲学のような解説だ。

続く

参考文献
*My Name Is Albert Ayler(2005) written and directed by Kasper Collin
**Always in Trouble: An Oral History of ESP-Disk', the Most Outrageous Record Label in America(2012) Jason Weiss
***Holy Ghost: The Life And Death Of Free Jazz Pioneer Albert Ayler (2022)Richard Koloda
****https://web.archive.org/web/20101206105844/http://www.reocities.com/jeff_l_schwartz/chpt3.html


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