![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/167405990/rectangle_large_type_2_a449d7c56ac9be1cbe25070cbbde490a.jpeg?width=1200)
アルバート・アイラー 「スピリチュアル・ユニティー」3 "Spiritual Unity" Albert Ayler
さてようやく「スピリチュアル・ユニティー」の話しとなる。
wikiの英語版や、他でも紹介した"Always in Trouble An Oral History of ESP-Disk"**など、このアルバム成立にいたる過程が書かれている資料は多い。ESPのバーナード・ストールマンにしてみればレーベルの最初のアーティストがアイラーであったことがあり、感慨深いのだろう、レコーディング時の印象などをほうぼうで詳しく語っている。詳細は他に譲るが、時系列的にはストールマンが最初にアイラーに声をかけたのが63年の12月末。その時点でアイラーはすでに”Spirits"のセッション(64年2月)を約束をしており、それが終わったらとのことで、あまり期待せずに待っていたところ、約半年後の6月に連絡があり、すぐにスタジオを抑えて7月にレコーディング、という流れだったようだ。
この流れの中で、2月の”Spirits"のセッションからメンバー・チェンジが行われ、"Spiritual Unity"はトリオ編成でのレコーディングとなった。
”Spirits"とかぶるのはサニー・マレーで、ベースはヘンリー・グライムスからゲイリー・ピーコックにかわった。グライムスはセシル・テイラーのグループのメンバーであったわけだが、ヨーロッパでのテイラー・グループには参加しておらず(ギャラの問題とされている)、マレーのような関係の深さではなかったのだろう。ただ、1963年にロリンズのグループでのコペンハーゲン・ツアーのおりに、アイラーと知り合いになったとのこと。グライムスはアイラーの音楽に感心はするものの、そこにスピリチュアルな要素があり、それに彼としては深入りしたくなかったという趣旨の発言をしている。***
ゲイリー・ピーコックはこれ以前、ポール・ブレイと行動をともにしていたのだが、64年の初め(推察するにSpiritsのセッションが2月なのでその後か?)にアイラーとマレーが短期間このブレイのグループに加わったらしい。このカルテットでのレコーディングは存在しないが、1度ライブ・パフォーマンスを行ったとのこと。その後ブレイ以外でアイラー・トリオ結成となり、現在”Prophecy”という名前でESPから出ているThe Celler Cafe(ジャズの10月革命の舞台となった)でのライブに出演(6月14日)。そして同じメンバーでストールマンと約束していた”Spiritual Unity”のセッション(7月10日)となる。
"Prophecy"に関しては、ほぼ”Spiritual Unity”と同内容のしかもライブということで価値が高い。ワンホーンものであることも貴重で、録音もこの時期のライブ録音にしては悪くはない、人によってはこちらを好む場合もあると思う。
"Prophecy"のライブをストールマンが見たという話しはない。上述の"Always in Trouble"では、「6月に『レコーディングの準備ができた』と電話があった。(In June, however, the phone rang “Th is is Albert Ayler. I’m ready to record.”)」という記述になっているから、アイラーはこの"Prophecy"のライブで手応えを得て、ストールマンに電話したという流れを考えたくなる。
2008年に作られたドキュメンタリー"My Name is Albert Ayler”*の中に収められているアイラーの回想によると、レコーディング・セッションの前15日間ピーコックは断食していて、アイラーが何でそんなんことをするのだと尋ねたところ「君の音楽はとても純粋だ、ぼくは生活のなかでたくさんけがれているからこれをしなければならない」(I must do this I have dissipated a lot in my life and you play pure music)*と言ったとのこと。であるから、ピーコックはProphecyのライブ後に何か断食の必要性を感じ取ったということになる。
セッションの様子などは各資料に詳しいので、これ以上はそちらに譲りたい。また、ドキュメンタリー映画ではストールマン、ピーコック、マレーがそれぞれの思い出を語っているので、興味のある方は観ていただきたい。
"Spiritual Unity”ではトリオが予定調和的なものを感じさせず、時間がその瞬間瞬間に編み上げられていくように感ぜられる。これは、ありきたりだが、やはりこのトリオの優れたインター・プレイの力によっていると思う。セシル・テイラーと練り上げたマレーのドラミングはこの時期唯一無二であり、ピーコックにはかなり新鮮だったはずだ。そのことを勘案するとこのアルバムでのピーコックのプレイは驚くべき集中力をもってなされていてアルバムの大きな聴きどころになっていると思う。
またマレーのシンバル・ワークが冴えていて、かつ、これより後、彼のトレード・マークとなるスネアを連打するスタイルがまだ現れていない。スネアの連打があまりにも頻繁で耳につくこの後のスタイルよりも、個人的にはこの方が好みで、音楽にも合っていると思う。録音もモノラルなのだがシンバルのつぶだちがよく録れていて催眠効果がある。さらに、これは"Prophecy"にも言えるのだが、ワン・ホーンであることが大きな魅力で”Spirits"よりも一段とプレイヤー間の結びつきの強さのようなものが存在し、聴く方の没入感が高くなると思う。
曲も「ゴースト」2バージョン、「ザ・ウィザード」、「スピリッツ」とどれもキャッチーなテーマを持つ。これらのテーマの多くは前作で登場したメロディーと重複しているが、要するに馴染みのメロディーが色々使いまわされ、それがインプロヴィゼーションの手がかりとなっていくわけで、聴き手にとってわかりやすいフックとなっている。
アイラー自身の言葉を借りれば「これは本物のブルース、新しいブルース、みんなこの音楽を聴かなければならない」"this is the blues, the real Blues, it's the new blues, and the people must listen to this music"* というわけだ。現在は皆がこの言葉に賛同するのではないだろうか。
アイラーとながらく行動をともにしたサニー・マレーが言うには「アルバートは基本的にソールやR&Bのサックス奏者だった。そして彼はフランスにいた時に聴いたスウェーデンの曲や民謡をベースにいくつかの素材を書いた。それが今我々がゴーストやスピリッツとして知っている曲だ。」*とのこと。
曲の素材はそれだけに限らず、やはりいわゆる"霊歌"=" Spiritual”もあるだろうし、軍楽隊時代のレパートリーもあるだろう。ドン・チェリーはこれらのメロディーに関して概ね以下のように言っている。
「アルバートの演奏したメロディーには馴染み深さ(familiarity)がある。見たこともないのに、知っていると強く感じる。であるから即興演奏に入っても、まだメロディーが鳴り響いているように聴こえる。(中略)これらのメロディーは、私が信じるに、精霊(spirit)からかれが受け取ったもので、彼は単にフィルターにすぎないのです。(後略)」***
64年の後半、このトリオにドン・チェリーが加わったメンバーで渡欧。そのおりのスタジオ録音で現在”Ghost”として知られているアルバムと、後からの発売になるが、オランダで録音された”The Hilversum Session”がある。それらでは、”Ghost”他、この時期のレパートリーが再演されている。どちらも不満のないできではあるが、マレーの上述のスネアの連打が始まっていたりで個人的には"Spiritual Unity”を好んでいる。
結局、よくあるトラブルが持ち上がり、バンドは分裂。その後、アイラーは弟のドナルドをメンバーに加え、次のフェーズに移っていくこととなる。
参考文献
*My Name Is Albert Ayler(2005) written and directed by Kasper Collin
**Always in Trouble: An Oral History of ESP-Disk', the Most Outrageous Record Label in America(2012) Jason Weiss
***Holy Ghost: The Life And Death Of Free Jazz Pioneer Albert Ayler (2022)Richard Koloda