アルバート・アイラー 4 「スピリッツ・リジョイス」Albert Ayler Quintet "Spirits Rejoice"
Tracklist
A1 Spirits Rejoice 11:31 A2 Holy Family 2:10
B1 D.C.7:55 B2 Angels Harpsichord – Call Cobbs 5:24 B3 Prophet 5:25
Credit
Alto Saxophone – Charles Tyler
Bass – Gary Peacock, Henry Grimes
Drums, Percussion – Sunny Murray
Tenor Saxophone, Composed By – Albert Ayler
Trumpet – Donald Ayler
Engineer – David Hancock
Recorded September, 1965 at Judson Hall, New York.
ヨーロッパ・ツアーの後、アルバート・アイラーはドン・チェリーの代わりに、弟のドナルド・アイラーをトランペッターとしてグループに引き入れるとともに、クリーブランドでの仲間であるチャールズ・タイラー(as)もメンバーに加えた。この段階で第2期に移行としても良いのだが、ゲイリー・ピーコックとサニー・マレーはそのままであるから、本格的に移行するのはインパルスとの契約が成って、ピーコックとマレーがいなくなってからとした方が良いかもしれない。
ドナルドはサックスだったのをトランペットに持ちかえ、特訓の末、このようなパフォーマンス・スタイルに至っているが、かえってドン・チェリーよりすわりが良いところがある。いってみれば彼のプレイの幅の狭さが特徴となり、グループの音楽性がかえって固まったようにも感じる。
単純なメロディーでのテーマ演奏をメインに据えながら、グループ・インプロヴィゼーションになだれこむスタイルは変わらないと言えば変わらないのだが、"Spiritual Unity"で本人が"New Blues"だとしていたテーマのニュアンスが、ここにきて"Anthem"アンセム風、マーチング・バンド風となる。ニューオリンズ的と評しても良いが、アイラーの経験を考えると、軍楽的と言っても良いように思う。どれも聴いたことがあるようなメロデーで、色々な曲名となって使いまわされるために、だんだん曲としてアイデンティファイするのが面倒にはなるのだが、同一アルバム内では曲の区分けはついており、この"Spirits Rejoice"はよく構成されたアルバムと思う。
新たに3管となったグループは、まず65年の5月にベースがピーコックではなくルイス・ウォレルという編成で、タウン・ホールで開かれたESPのショーケース的イベントに出演した。それが"Bells"となる。このBellsの後半にマーチング・バンド風アンセムが演奏されるのだが、その評判が良かったからか、9月に行われた"Spritual Rejoice"のセッションではその路線が拡大した感がある。
A1の"Spirits Rejoice"のテーマは「ラ・マルセイエーズ」の改変というか、パロディーのようで、この後タイトルを変えながら使いまわされていくのだが、個人的には後の「ジミヘンのアメリカ国歌」とダブる演奏で、これをベースに60年代後半の様々なニュース映像がめぐるイメージである。A2はESPのストールマンの3分以内の曲をやってもらえるか?というオーダーに答えたもの。ストールマンはそんなことを言ってしまって後悔していると語っている。*
B1の"D.C."はドン・チェリーのことと思うが導入のファンファーレ的なメロディーをキューにトランペットの長いソロ、またテーマがきて..というお馴染みの構成で
、途中ピーコックとグライムスの長めのベース・ソロが入る。B2はワンホーンのスピリチュアルもので、Call Cobbsのハープシコードが入りアクセントとなっているが、アルコ弾きのベースとマレーのドラミングも良い。Call Cobbsは1911年生まれで一世代上のミュージシャンだが"Swing Low Sweet Spiritual"でもバッキングを務めていて、この後のインパルスの作品にも参加している。B3の"Prophet"は"Bells"の冒頭と重なるイメージで、ソロの出入りサウンド・キューのようなものがある以外はわかりやすいテーマをもたないインプロヴィゼーション中心のトラックである。
前述したようにこのアルバムは一枚の作品として構成感があり、特にB面は曲のヴァリエーションも確保され、聴きやすい。また、ベースがダブルキャストなのも効果的で、この後の"In Greenwich Village"でもベースがダブルキャストであるから、本人も気に入った編成なのではないだろうか。
レコード的にはこのアルバムを最後にゲイリー・ピーコックとサニー・マレーがメンバーからはずれる。特にサニー・マレーが実質クビになったのは大きな変化である。66年の1月にSlug's Saloonでのライブがあり、1回目はマレーが叩いたのだが「2回目はキャンセルになった」とアルバートがマレーに伝えた。だが、実際には行われ、マレーが行ってみるとロナルド・シャノン・ジャクソンがドラムの椅子に座っていたとのこと。マレーは泣いてしまったという。ドナルド・アイラーが後に語ったところによると、アルバートは「マーチ・リズムをたたけるドラマーを欲した」とのこと。代わりに一時的だが当時まったく実績のなかったロナルド・シャノン・ジャクソンがメンバーに加わる。これはチャールズ・タイラーのデヴュー・アルバム用のセッションでのシャノン・ジャクソンの演奏(彼の名前が初めてクレジットされたセッションとのこと)をアルバートが気にいったことによるとされている。**
シャノン・ジャクソンが後に語った言葉が印象的なので、ここに引いておく。
「アイラーと演奏することで、私は地元(テキサス州フォートワース)のホーリネス教会で人々がそうしていたように、楽器を通じて霊的な高揚感を表現することができたと感じた。アイラーは霊的な現実(spiritual reality)の存在を理解していた人物であり、音楽はその霊的な表現を実現するための単なる手段に過ぎないことがわかっていた人だった。」
シャノン・ジャクソンとアイラーのスタジオ録音はなく、代わりに下の"Slugs' Sallon"でのライブと、クリーブランドの”La Cave"での録音が残っている。CDになっている"Slugs' Sallon"のライブが66年の5月であるから、ジャクソンはそこまでは在籍している。ジャクソンが辞めたのはギャラの問題という。ジャクソンが言うには「ただただ音楽への愛のために働いていた。いくつかライブはやれたが、誰も来なかった。」という状態であったらしい。**ただ、この秋にヨーロッパ・ツアーに出かけ、軍隊仲間のビーバー・ハリス(drs)が代わりに入るわけで、事情はもっと複雑であったようにも思える。
参考文献
*Always in Trouble: An Oral History of ESP-Disk', the Most Outrageous Record Label in America(2012) Jason Weiss
**Holy Ghost: The Life And Death Of Free Jazz Pioneer Albert Ayler (2022)Richard Koloda