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オーネット・コールマンのレコード04 「チェンジ・オブ・ザ・センチュリー」 "Change Of The Century" The recordings of Ornette Coleman No.04


まずは基本情報。
A1 Ramblin'6:34
A2 Free6:20
A3 The Face Of The Bass6:53
B1 Forerunner5:13
B2 Bird Food5:25
B3 Una Muy Bonita5:51
B4 Change Of The Century4:41

  • Alto Saxophone, Composed By, Liner Notes – Ornate Coleman

  • Trumpet [Pocket] – Donald Cherry

  • Bass – Charlie Haden

  • Drums – Billy Higgins

  • Engineer [Recording] – Bones Howe

  • Supervised By – Nesuhi Ertegun

本作は前作の録音のほぼ4か月後、10月8、9日の両日にハリウッドでレコーディングが行われた。スタッフは前作と同じである。
このレコーディングの後、NYのファイブスポットへの出演が決まり、それが話題を呼んで、計2か月半に及ぶロングランとなったため、オーネットらはウェストコーストを後にしNYに活動の場を移すことになる。そのため、この後はNYでのレコーディングとなりエンジニアもトム・ダウドらに替わる。まずは第一の転機を迎えるわけである。

作品的にはほぼ前作の延長線上にあると言えるが、カルテットの充実ぶり及び自信が感じられる1枚となっており、アルバムに付されたオーネット本人によるライナーでは、
「我々の音楽で最重要の新しい要素は『グループによる自由な即興演奏』というコンセプトだ(our conception of free group improvisation)」と宣言している。
"free group improvisation"。現在にいたるまで、「フリー・ジャズ」とは?との問いに対するまずはの答えとして用いられる言葉であるが、このオーネットの発言が始源となっているのかもしれない。このコンセプトをどこまで追求するかがこの後の新しいJAZZを志す人々の目的となったと言っても良いであろう。(ただしセシル・テイラーはこの言葉には否定的な見方を持っている。)
まずはアルバムを具体的に見ていくとする。A面は前作と似た構成で、聴きやすく、よくできている。
A1 "Ramblin'"はPaul Blayも取り上げ、今やスタンダードと言っても良い曲である。構成の面白さ、グループの充実が感じられ、各自のソロも面白い。
A2"Free"はランニングするベースにフロント2人が絡む、前作のA2"Eventually"に通じる作品であり、ソロとベースのラインが拮抗する緊張感が良い。A3の"The Face Of The Bass"はヘイデンのベースをフィーチャーした作品で短いテーマを持ち、ウォーキングするベース・ラインにやはりフロントの2人が絡む構成である。
B面もリズムとメロディーのバランスが面白いB1"Forerunner"に始まり、表題が示すようにチェーリー・パーカー的テーマを持つB2"Bird Food"そして、R&B的というかファンキーでポップなテーマを持ち後にBobby Hutchersonがカバーする"Una Muy Bonita" と進行するのだが、この曲とB1でのオーネットのトーンの美しさは、フレージングと相まって、後年にもつながっていくものがある。ドン・チェリーも前作でも指摘したが、らしさを確立してきている。
ただ、これだけであると、グループ的にはこの後の音楽的な展開を考えた時に一つ型ができてしまった感がある。言って見れば前作のB面とあまり代わり映えのしない内容であり、次への展開で煮つまりそうな予感をたたえている。ここまで聴き進んできて、なんとなくマンネリを感じてしまうのだ。「ライナーでああはいうが実質は?」といった感想だ。
だが、B4のアルバムのタイトルとなった"Change Of The Century"で可能性が開ける。
この"Change Of The Century"にオーネットの宣言したところの"our conception of free group improvisation"が一番端的に出ていると感じる。この方向にグッと押し進んで行った結果、次作、そしてその次の"Free Jazz"へと道が通じていくことになる。そして、その影響下に数多くの「集団即興演奏」もの、所謂「ドシャメシャ」もののレコードが70年代にかけて数多く作られていくことになるのである。罪な1曲である。
さて、前述したようにこのアルバムのライナー・ノーツはオーネットの手による。これはオーネット史上初である。彼はグループが固まったこともあり、自分の音楽に自信を深め、自分の音楽を解説する気になったのであろう。
「何人かのミュージシャンは私がやっていることが正しいならば、誰も学校になんか行かない、という。私は、ジャズの演奏に正しいやり方などない、と言おう。私の音楽になされた幾つかのコメントによって、かつて革新的であったはずのモダン・ジャズが多くの面で、安定した、ありきたりなものになってしまったのだ、と気づかされた。」
と始まるこの文章は、オーネットのこの時点での決意表明のようなものになっており、オーネットに興味のある方々には一読を勧めたい。"our conception of free group improvisation"に関しては、大まかに、
「グループで、演奏を始めた時点で最後がどうなるのか誰も予見(any idea)を持っていない。それぞれのプレイヤーはその瞬間に音楽の中に感じることに対して自由に貢献するのであって、前もってどのような効果を達成するのか、などという事前に確認された考え(preconcieved notion)をもって始めることはない」などと宣言している。
ずいぶん挑発的な発言である。
このアルバムに収められた曲を聴くとずいぶん構成を感じるわけで、このアルバムにこのオーネットの言葉がピッタリとはまるようには感じないのだが、この自分の発言に引っ張られるようにこの後のオーネットの音楽が進展していくのは確かである。自分で自分を煽ったというか追い詰めていったというか、何かに気づいてしまったのであろう。さらにこのライナーで自分の音楽をジャクソン・ポロックになぞらえてもいる。この次の次に来るアルバム"Free Jazz"でアート・ワークにポロックの作品を使い、言って見れば中身を説明したオーネットであるが、この段階で「ポロックのようなジャズとは?」といった問いが彼の中で立ち、膨らんでいってしまったのであろうことは想像に難しくない。
と、色々書いたが、この作品に関して言えば、今の目からすればオーソドックスな作品で、これと前作に関しては一つのセットのように感じるし、後の"Old & New Dreams"などが好きならば全く戸惑うことなく楽しむことのできるアルバムだと思う。
僕の持っているのはオリジナルのステレオ盤であるが、前作同様真ん中にベースとドラム、フロントの2人が左右に振り分けられている。前作よりベースがファットに録れており、レベルも若干大きいように感じる。
また、このアルバムを最後にドラマーがビリー・ヒギンズからエド・ブラックウェルに交代する。表向きはキャバレー・カードの問題らしいのだが、オーネットは元々ブラックウェルとやりたかったわけで、この交代は大きな痛手とはなっていない。

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