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ニューヨーク・アート・カルテット New York Art Quartet
Tracklist
A1 Short 8:20 A2 Sweet - Black Dada Nihilismus 12:10
B1 Rosmosis 14:48 B2 No. 6 8:07
Credit
Trombone – Roswell Rudd
Saxophone – John Tchicai
Bass – Lewis Worrell
Percussion – Milford Graves
Voice [Recitation] – LeRoi Jones
Engineer – Art Crist
Recorded At – Bell Sound Studios
Recorded in New York City on November 26, 1964.
New York Contemporaly Fiveが解散した後に、ある種その後継としてできたのがNew York Art Quartetである、とすると若干語弊があるが、ジョン・チカイとロズウェル・ラッドを中心に、当初のリズムセクションがContemporaly FiveのJ.C.モーゼス(drs)とドン・ムーア(b)だったわけだから、流れとしてはそう見えなくもない。
その後にミルフォード・グレイブスが参加。ジュゼッピ・ローガンがグレーブスを2人に紹介したのだという。*** その時点で、モーゼスとムーアが辞める。ここで、音楽的にも完全に別のグループになったと言える。
以上はグレイブスの証言からだが、チカイの記憶は異なっていて、J.C.モーゼス(drs)とはどうも上手くいかず、ベースのルイス・ウォレルがグレイブスを連れてきた、と語っている。** いずれにしても、結果からみるとグレイブスの加入はグループにとって大きかったと思う。
グレイブスにとってもこれがいわゆる"New Thing"、フリー・ジャズ・シーンと関わる最初であり、その後の活動を考えると、彼にとっても大きな出来事であったと思う。ベースのルイス・ウォレルは割と流動的だったようで、2枚目の"Mohawk"ではレジー・ワークマンに交代している。
ラッドとチカイはこの時期ジャズ・コンポーザー・ギルドのメンバーで、New York Art QuartetはJohn Tchikai Quartetなどと名前を変えて「ジャズの10月革命」、「12月の4日間」(Four Days in December)に出演している。このレコードはちょうど2つのイベントの間にレコーディングされていて、その前後の空気をつめこんだような内容で、そういう意味でも初期ESP盤ならではの作品となっていると思う。
各トラックはホール・トーン、12音系のテーマをもったもので、テーマ後も単純にソロが回るよりも、2ホーンが絡みつづけ、且つ、調を曖昧にするこの時期らしいセッションとなっている。もちろんB1の"Rosmosis"のように各自のソロ・スペースが長くとられているトラックもあるが、それはグループの試みとは少し外れたことであったようだ。チカイはインタビューでグループの試みを以下のように語っている。
Q: それまでのグループと比べて、New York Art Quartet ではどのような新しい試みをしましたか?
JT:それは、ポリフォニックな(多声的な)要素を取り入れたことでしたニューオーリンズ・ジャズやクラシック音楽にもある、集団即興演奏のスタイルを強調した当時のコンテンポラリー・ジャズと比べても、僕たちの音楽のポリフォニックな側面はかなり新しかったと思います。
であるから、ラッドとチカイのホーンがポリフォニックに絡み合うことがまずはの特徴で、そこにグレイブスの独特のリズムが絡むことで、他にない新しいグループ・インプロビゼーションが生まれる。このことがこのグループの狙いで、それを体現するものとして本作があるというわけだ。
その上でさらに、アミリ・バラカ(リロイ・ジョーンズ)の詩の朗読をフィーチャーした"Black Dada Nihilismus"が入る。
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バラカはぼくがここで紹介するまでもなく、ブラック・アート・ムーブメントの中心人物。詩人・作家で、ジャズ評論も書いていたのだが、いわゆるロフト・ジャズ・シーンを始動した一人でもある。
Q:1964年、クーパー・スクエア27番地のロフトでコンサートシリーズを開催していたというのは本当ですか?
AB:定期的なものではありませんでしたが、コンサートシリーズを始めました。当時、私はDownBeat誌に寄稿していて、従来のジャズクラブ以外の空間でコンサートを開くことを提唱していました。なぜなら、クラブのオーナーたちは、進化した新しい音楽にまだ対応できていなかったからです。
そこで、私たちはロフトでコンサートを開催するようになりました。私、アーチー・シェップ、マルゼット・ワッツが同じ建物に住んでいて、マルゼットが最後に入居しました。彼は絵を描くために広いロフトを借りていて、彼の部屋は私の階下でした。
そこでコンサートが行われるようになったのですが、同時にカフェや他の人のロフトでも開催されました。私の著書 Black Music の中にそのことについて書いたエッセイがあります。
とのことで、詳細は"Black Music"で。ということになるが、既存のジャズ・クラブの重力圏から離れた場所での演奏はジャズ・コンポーザー・ギルドの掲げるところでもあった。以下当時の様子をラッドが語っている。
RR:(前略)私たちはギルドに参加していて、その演奏の機会を最大限に活用していました。ジャドソン・ホールで開催されたのは「12月の四日間フェスティバル」で、大晦日にはサン・ラーと共演しました。その活動は春まで続き、毎晩のように(ヴァンガードのビルの上階のイーディス・スティーヴン・ダンス・スタジオで)演奏がありました。ジャズ・コンポーザーズ・ギルドのグループが、週に4~5回演奏していたんです。私たちは2週間に一度くらいのペースで出演していました。観客は決して多くはなかったですが、コアなファンが来ていました。アーティストや他のミュージシャンたち、ヴィレッジの独特な雰囲気を持った観客たちが集まっていました。ただ皮肉なことに、The Village Voice は一度もレビューを書いてくれませんでした。私たちは毎週広告を出していたのに。
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成立の背景に関してが長くなったが、この作品の話の中心はどうしても アミリ・バラカ(当時はリロイ・ジョーンズ)の"Black Dada Nihilismus"ということになる。ラッドによるとチカイがバラカを連れてきたとのこと。
Q:アミリ・バラカはどうしてそのセッションに参加することになったのですか?RR:ジョン(チカイ)が彼を連れてきました。私はそれがバラカとの初めての出会いで、当時は彼の作品をよく知りませんでした。私たちの音楽にはある種の怒りが込められていました。そしてバラカの言葉も、それに通じるものがあると感じました。ただ、バラカには怒りだけではなく、大きなユーモアの要素もありました。私自身は怒りよりも、彼の持つユーモアのほうに共感しました。でも、最終的にそれは音楽とうまく融合していたと思います。
バラカ本人の記憶は何か勘違いが入っている様子でメンバーにいないアーチー・シェップの名前が上がっている。
Q:ニューヨーク・アート・カルテットの録音に参加することになった経緯は?
AB:たぶんアーチー(・シェップ)が声をかけてくれたんだと思います。
Q:「Black Dada Nihilismus」のパフォーマンスはどれくらい計画されていたのですか? それとも即興的にやったのですか?
AB:アーチー(・シェップ)とはその場の誰よりも親しかったので、「何かやろう」という感じでした。多少の話し合いはしたかもしれませんが、大がかりな計画があったわけではありません。ただ「この詩を読もう、これをやりたい」と思って、それを実行しただけです。
このレコーディングが64年の11月。マルコムXの暗殺が1965年2月21日。
冒頭の一節を引用する。
Against what light
is false what breath
sucked, for deadness.
Murder, the cleansed
purpose, frail, against
God, if they bring him
bleeding, I would not
forgive, or even call him
black dada nihilismus.
であるからここでの「彼らが運んでくる血まみれの"him"」はもちろんマルコムXではないのだが、何か予言的に聴こえる。
バラカは68年にムスリムに改宗するが**、この時点では無神論者の実存主義者であっただろうことがこの詩から伺える。
ラストのセンテンスを引用すると
(may a lost god damballah, rest or save us
against the murders we intend
against his lost white children
black dada nihilismus
となっているから、詩全体が「失われた神ダンバラ(ブードゥーの神)」への呼びかけのスタイルをとっている。
ただ、あくまでも"a lost god damballah"であるから、いずれにしても神は失われているわけで、バラカというよりリロイ・ジョーンズとした方がこの場合すっきりするが、当時20代半ばの彼の視座がどのようなものであったか、このことからも、よく分かると思う。なにしろタイトルからして"Black Dada Nihilismus"なわけである。
ミルフォード・グレイブスがレコーディング時の記憶を語っている。
MG:(前略)スタジオに行くと、ルイス・ウォレルと私はベル・スタジオで仕切りの向こうにいました。ロズウェルとジョンから「素晴らしい詩人がいる」と聞かされていただけで、詳しいことは知りませんでした。バーナードはにこにこしていて、私は仕切り越しにバラカの口の動きを読もうとしていましたが、彼の声が聞こえなかったんです。それでプレイバックを聴くためにサウンドブースへ行きました。そこで私は、「こいつはすごいことを言っている!しかも、かなり挑発的だ!」と驚きました。これがESPとの最初の出会いでした。
Q:バラカを呼んだのは誰ですか?
MG:はっきりとは覚えていません。ロズウェルかジョンのどちらかだったかもしれません。彼らはダウンタウンのシーンにいましたし、バラカもその一員でした。バラカはフォース・アヴェニューの自分のロフトでコンサートを企画していて、定期的にイベントをやっていました。だから、ミュージシャンたちとも顔なじみだったんです。
演奏を聴くとそうは思えないのだが、一緒の空間でセッションをしていながら、声は聴こえなかったのだという。12分を超える"Sweet - Black Dada Nihilismus"はパーカッションとベースをバックに4分弱の詩の朗読があり、その後、それを受けてのホーンをフィーチャーしての演奏が8分ほどある。前半の4分は朗読が聞こえなかったのだとしたら、誰かが指揮でもしていたのだろうか?前半は前半で録って、編集したのかもしれない。ただ、ジョーンズの朗読のリズムとバッキングはよくあっていて、それに続く演奏もジョーンズのパフォーマンスと詩を良く受けていると思う。そのコンビネーションでアルバムの目玉となっていると思うし、この時期のESPを代表するトラックとなっているとも思う。
New York Art Quartetはこの後Fontanaから"Mohawk"というアルバムを出している。こちらは65年の7月16日録音。「12月の4日間」とその後の一連のセッションを経た後で、ミルフォード・グレーブスの存在感が増し、随分やることが整理された印象を受ける。またベースがレジー・ワークマンに交代したことで、スピード感と推進力が出ている。さらに、ヴァンゲルダー録音であることもあり、スッキリと聴ける出来となっている。個人的にはグループの完成度ということではこちらが好みで、正直ESP盤は"Black Dada Nihilismus"以外は構成が甘くまだ生煮え感があったと感じている。
引用が多くなるが最後にラッドのインタビュー。
Q:ESPのレコードがリリースされたとき、反響はありましたか?
RR:もっと反響があると思っていました。私個人としては、当時私たちが期待していたことの多くは、ある種の“願望”に過ぎなかったと思います。期待通りにはいきませんでした。「100万枚売れるぞ」と思っていたのに、実際には数年かけてようやく500枚売れた程度でした。
一方で、フォンタナ・レーベルからのリリースはもっと売れました。ヨーロッパでプロモーションされたからです。ヨーロッパのジャズファンは、私たちの音楽に対して、アメリカのリスナーよりも熱心だったと思います。
ヨーロッパでは「アヴァンギャルド」という言葉がポジティブに受け取られましたが、アメリカではそれが“商業的には致命的”な響きを持っていました。ヨーロッパで「アヴァンギャルド」と言うと、肯定的な反応が返ってきました。でもアメリカでは、その言葉を使うだけで敬遠されるような雰囲気がありました。
参考
*https://www.nycjazzrecord.com/issues/tnycjr201212.pdf
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***Always in Trouble An Oral History of ESP-Disk, the Most Outrageous Record Label in America by Jason Weiss
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