見出し画像

"Tomorrow Is The Question!" オーネット・コールマンのレコード 2  The recordings of Ornette Coleman No.02 "Tomorrow Is The Question!"

オーネットの2枚目。
まずは基本情報であるが

  • Alto Saxophone – Ornate Coleman

  • Trumpet – Don Cherry

  • Bass – Percy Heath (tracks: A1 to A6), Red Mitchell (tracks: B1 to B3)

  • Drums – Shelly Manne

  • Engineer – Roy DuNann

  • Producer – Lester Koenig

前作の諸々の状況を受けて、プロデューサーであるレスター・ケーニッヒは自社のスター・プレーヤーであるシェリー・マンとレッド・ミッチェルをこのアルバムのリズムセクションに起用した。
このキャスティングが本アルバムの特徴となっている。現時点から見ると知名度的にはオーネット→ドン→シェリー→レッドという順になるだろうが、この時点ではシェリー→レッド→オーネット→ドンというのが妥当な見方であ
また、コンテンポラリーで多くのレコーディングを行っているシェリー・マンとエンジニアのロイ・デュナンの気心の知れ方は他メンバーと差があるわけで、このアルバムではこの後のオーネットのアトランティック諸作には見られないドラムの音の良さがある。ドラムのフィーチャー感があると言っても良い。オーネットのアルバムでありながら、一聴シェリー・マンは上手い!という印象が先に立ってくるのである。
あまりにもシェリー・マンのプロフェッショナル性とそのドラムの音の良さ(これはロイ・デュナンの功績が大)が際立つために、よく聴くとソロになった時のバッキング2名とフロントの2名のリズム感の違い、というか経験の違い、というかプロ経験の差というか...そのようなことが際立ってきてしまい、それが異和となって聴こえてくる。フロントの二人の音楽の自由が、何かプロフェッショナルに追い立てられることで不自由になり、居心地が悪くなっている感じが伝わって来るのである。
このアルバムはA面のベースがパーシー・ヒース、B面がレッド・ミッチェルである。レッド・ミッチェルとのセッション後、オーネットとドンは次のセッションに関してパーシー・ヒースに依頼に行ったということになっている。レッド・ミッチェルはオーネットをコンテンポラリーに紹介した恩人であるのだが、どうも合わないという判断だったのであろう。
ところが残されたレコードを聴く限りパーシー・ヒースこそ浮きまくりである。レッドは少なくともオーネットの音楽をまだ理解している感がある。パーシー・ヒースはことの重大さに気づかずに参加してしまった、古い世代のミュージシャン感満載のプレーで、シェリー・マンに寄り添うことで居場所を見つけているが、オーネットとドンの音楽とはどうにも距離がある。例えば"Tears Inside"のようなブルース・フォーマットの曲では全く普通にコード感をあらわにしたラインを弾き...といった具合である。もちろんオーネットの狙いがそういうものであったという可能性もなくはないが、シェリー・マンのドラミングと相まって、よく言えば上手すぎ、至極まっとうすぎでオーネットの音楽に寄り添う気持ちが足りないのである。
ただ、曲は良い。B1"Lorraine"は知人のピアニストで亡くなったロレイン・ゲラーに捧げられているが、これはかのロンリー・ウーマンの原曲ではないか?と見紛うものである。ロンリー・ウーマンはデパートの在庫係りとして働いていたオーネットが「ある昼休みに淋しそうな白人女性の肖像画を目にし、印象を受け書いたメロディー」とされているが、ロレインが先なのかロンリー・ウーマンが先なのかどうであろう?
ここでベースはレッド・ミッチェルであるが、ソロのバックではテーマのメロディーの一部を繰り返している。タイミングもテーマを繰り返す事で計られており、この繰り返しで全てが構成されて行く構造である。これは次作の冒頭に来るロンリー・ウーマンと共通であるのだが、次作からベースを弾くことになるチャーリー・ヘイデンのドローン的な行き方とは全く異なっていると言って良いと思う。であっても、パーシー・ヒースよりはオーネットの音楽に寄り添った解釈である。レコーディングのデータによると、この1曲をやるために1日(Jan.16,1959)が費やされており、急ごしらえのセッションでのマッチングの苦労がうかがえる。
B2の"Turnaround"B3の"Endless"も曲はとても良い。 が、今やスタンダード感もあるブルース"Turnaround"ではテーマの後スグにレッド・ミッチェルがソロをとる。現時点からは全く余計な気配りである。この後オーネットと一緒にやるメンバーであればまだ良いのだが、そうではなく、この時点での気配りであるから、後から振り返ってみると意味をなさないフィーチャーぶりである。とは言ってもこの演奏がつまらないか?といえばそういうわけではなく、シェリー・マンのプロフェッショナルな解釈はこれはこれで面白いし、録音の力も手伝って他のオーネットの作品にはないビッシっとした感じがあるとも言える。この"Turnaround"はその後2005年の"Sound Grammar"でも取り上げられている。
B3の"Endless"もこれはこれで、フロントの2人を煽るプロフェッショナルなリズム隊といった趣で悪いとは言わない。ドラムとベースの素晴らしくまっとうなタイム感、名人芸+ロイ・デュナンによる典型的なコンテンポラリーのドラムンべース・サウンド、その上で個性的な2人組が奮闘する。違和感はあるのだが、聴きどころは沢山ある。
A面に戻ると、冒頭A1の"Tomorrow is the question!"からA6の"Rejoicing"まで大変個性的なテーマを持った、オーネットらしい曲群で、当時やはり新鮮な驚きを持って迎えられたであろうことは想像に難しくない。"Compassion""Rejoicing"のテーマなど今改めて聴くと、大スタンダード曲のような印象すら受けるのであるから、オーネットのメロディーの個性というのはモンクのそれに匹敵すると言っても良いと思う。一方の創始者であるセシル・テイラーの楽曲にはスタンダード感はなく、現代音楽、12音に根ざした作品群で、振り返ると人生で1曲をやっている感があるのとは大変に対象的である。これは出自の違いと言える。ニューヨーカーで高等教育を受け黒人現代音楽家としての側面を持つセシルのあり方とニューオリンズのR&Bバンドにルーツを持つオーネットの違いである。
さて、これがオーネットとの共演の最初であり最後であるシェリー・マンのコメントがこのアルバムのナット・ヘントフによるライナーに引用されている。曰く。
「(オーネットとプレイすることは)現実的に何か曲(song)を演奏しているという感じではない。まさに人(a person)とプレイしていることを実感する。まさに「彼の曲(song)」をプレイしているのだ。オーネットは彼自身の楽曲(his own tunes)で、そこで演奏されたそれらの曲(the tunes)の現れだけではなく、1,800,000もの異なった方法で演奏されたそれらの曲(the tunes)を聴いている気分にするような事をやってのけている。」(拙訳ですみません)
前作でのオーネットのコメントを受けた形でのコメントではあるが「私を解放する事の出来た(able to free me)男がまさにここにいる」ともコメントしているわけで、ミスマッチ感はありながらもとても楽しんでプレイした事は音からも伝ってくる。個人的にはA面最後の"Rejoicing"でのシンバルワークはその録音も相まって他の演奏が霞んでしまうぐらいの印象を与える。もちろん良し悪しは別だが、モノラル録音にもかかわらずシンバルが突出してくるのである。
と、次作が"The shapes of Jazz to Come"でレギュラー・メンバーが固まりグループとしてのサウンドが明らかになる作品であることを前提にする、今日的視点から、このアルバムは過渡的作品となるわけであるが、なんだかんだで聴きどころは沢山、名曲揃いの作品であることは間違いない。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?