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オーネット・コールマンのレコード06 「フリー・ジャズ」 "Free Jazz" The recordings of Ornette Coleman No.06


さて、フリー・ジャズである。

Tracklist

A Free Jazz (Part 1) 19:55
B Free Jazz (Part 2) 16:28

Credits

  • Alto Saxophone – Ornette Coleman

  • Bass – Charlie Haden, Scott LaFaro

  • Bass Clarinet – Eric Dolphy

  • Drums – Billy Higgins, Ed Blackwell

  • Trumpet – Freddie Hubbard

  • Trumpet [Pocket] – Don Cherry

  • Engineer [Recording] – Tom Dowd

  • Supervised By – Nesuhi Ertegun

前々作"Change of the Century"の自筆ノートで"our conception of free group improvisation"なる宣言を行い、それをジャクソン・ポロックの絵画に例えたオーネットであったが、ついにここで、ポロックの絵をアート・ワークに掲げ、計8名による"The Ornette Coleman Double Quartet"名義の名付けて"Free Jazz"を世に問うことになった次第である。
8名による集団即興演奏ではなくダブル・カルテットであるところが一つ興味深い。それも左右のチャンネルに一つづつカルテットを配するのである。
Sax2 Tp2 Dr2 Bass2というダブル・カルテットではあるが、エリック・ドルフィーはバス・クラリネットでの参加だ。
アルバムには長文のマーティン・ウィリアムスによるライナー・ノーツが掲げてあるので、随時それを参照しながら書き進めることにする。
まず強調されているのが、「何回か演奏したことがある顔見知りのメンバーではあるが、このセッションのためには、ほとんど準備はしなかった。」こと、「1回のセッションの1テイクで編集なしに成り立っているレコードである」こと、「事前にこのセッションが何分になるのか誰もわからず、2台のテープレコーダーが用意されていただけである」こと、などである。結果は38分のLPサイズのセッションになっている。
ただし、何にも決まっていなかったわけではないことは聴けばわかる。アンサンブル⇄ソロ・スペースというラフな構成があり、ソロのオーダーもある。また、テーマとは言い難いが、冒頭にこの後定番となる「ファンファーレ」的なものがあり、この演奏中も随所で顔を出す。個人的にこの手の「ファンファーレ」を聴くと一気に血糖値が上がるのだが、この手の「ファンファーレ」はこれを始源とすると言えるだろう。
さらに、テーマのようなものも1か所オーネットのソロ・スペースが終わり、ドン・チェリーのソロスペースへ移行する部分のアンサンブルに現れる。諸々サウンド・キュー的な決め事があることはこの手のグループ演奏ではお馴染みで、例えばスティーブ・ライヒの"Music for 18 musicians"においても、マレットが提示するサウンド・キューをきっかけに曲想が移り変わっていくのであるが、これはガムランにヒントを得ているのだという。ジュジューカなども先導するものの謂わばサウンド・キューによってグループの演奏の方向が変わっていく。オーネットもそのあたりの事に関しての知識をこの時点で随分持っていたのではないだろうか。
とは言ってもライナーにある「Free Jazzは普通の意味でのテーマ⇄バリエーションものではない」という指摘はその通りである。「各ソリストはヴァリエーションをやっているのではない。彼らのインプロヴィゼーションは音楽そのものであり、テーマはその瞬間に発明されたものだ」というのも、言い過ぎとまでは言わない。
さて、聴き進めるにあたってやはりソロのオーダーを確認すると、一つの「取りつく島」的なものができる。ここでは、
Dolphy→Hubbard→Ornette→Don→Haden→LaFaro→Blackwell→Higgins
である。
冒頭、前述の「ファンファーレ」があり、それに引き続き7つの音が合奏されるのであるが、解説によるとこれをオーネットは"Harmonic Unison"と称し、それは「直感的かつ独自(homemade)」のタームであるのだという。
「各々のホーンはプレイすべき固有の音(its own note)を持っている。しかし、それらはあまりに離れている(so spaced)ため、結果ハーモニーのようにはならず、ユニゾンのようになる。」
と、オーネットが解説したとしている。
これに関しては特に「ユニゾン」としていることから、後に"Harmolodics"(https://en.wikipedia.org/wiki/Harmolodics)となっていく概念との関連で、この音を実例として記憶しておくのも、オーネットに興味を持つものとして意味のないことではないと思う。
さらに、前述したオーネットのソロ終わり、ドンのソロ前に来るテーマのようなフレーズ(これはちょうどA面のラスト=B面の頭にきている)には"Transposed Unison"なる新語をオーネットはあてたというが、このタームの解説は特にされていない。が、ここでは新語というよりは読んで字の通りの機能、ブリッジ機能をこのフレーズは果たしているので、そう理解しておけば良いであろう。
このマーティン・ウィリアムスによる解説には各ソロに関してのオーネットのコメントが一々紹介されていて興味深い。この作品を聴く場合、一読されることをお勧めしておく。そんな中でオーネットの次の言葉がその時点での彼の考えを表現していて面白い、これはオーネット自身のソロに関して付されたコメントであるのだが、
「ソリストに対し他のメンバーが継続的に(そのパートの)構築に美しく共同しているのが聴いて取れる。自由というのは個人的なものでさえなくなることもできるのである。(the freedom even becomes impersonal)」

もうひと押しでコルトレーン化しそうな考え方である。"スピリチュアル"系的な思考の方向であると言っても良いが、まあ、グループで創作をおこなう場合避けては通れない考え方であると言われればそうも理解できる。この後オーネットがどうなっていったのか?コルトレーとの比較において上記の発言を記憶しておくのも無駄ではない。

昨今レコード屋に行くと「フリー・ジャズ」と「スピリチュアル」は近接しているが別棚となっていることが多い。コルトレーンはもちろん「コルトレーン」として棚が立っているので参考にならないが、ファラオは「スピリチュアル」に入っていて、オーネットは「オーネット」として棚があることが多いものの大概は「フリー・ジャズ」に入っていて、「スピリチュアル」に入っていることは決してない。セシルも同様だ。余談となった。

余談ついではあるが、アート・ワークにもなりオーネットが前々作あたりから自らの演奏をそれに比しているポロックの絵に関して、解説は、それを対象によらない絵画(non-objective painting)としている、であるから、それに比すこの演奏はあくまで内発的であって、かつ対話的で、現場的であるということになるだろう。関連して解説では、プレーヤーが演奏を始めるにつれての、相対的なピッチとリズムによって即興される、東洋の尊敬に価する音楽とこの音楽を比することも意味があるとしている。これも頷ける解説と思う。
実際にこの演奏では主にラファロの弾き出したベースのリズムがこの場の全体のペースを決めた感がある。個人的にはこのペースに関しては「好みではないな〜」と感じているのだが、リズムは2拍子とも3拍子とも取れるポリリズムであり、例えばフラメンコのブレリアのコンパス(3拍子基本の12拍)を取ってみても、とてもハマリが良く、気に入っている。これは参考まで。

この作品に関しては、様々な事が言われてきている上に「聴かず嫌い」的な対応も見られる。しかし、コルトレーンの「アセンション」でも指摘したが、ライナーを読んで、少なくともソロのオーダーを確認し(何しろ今となっては豪華メンバーだ)それに対してグループがどのように動くのかを興味を持って聴きさえすれば特に敬遠するようなものではなくなるのではないかと思うが如何だろう?

オーネットは「心と感情をその感情の背景とは関係なく、直接的に表現、演奏しよう」とし「我々の心と感情を電気で捉えられる限界までここに表現した」とこのレコードを評して言っている。であるからまず構造を理解したならば、その後は「心と感情」に浸ってみるのも良いのではないかと思う。


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