セシル・テイラー8 「コンキスタドール」 "Conquistador!" Cecil Taylor
Tracklist
A Conquistador
B With (Exit)
Credits
Trumpet – Bill Dixon
Alto Saxophone – Jimmy Lyons (2)
Bass – Alan Silva, Henry Grimes
Drums – Andrew Cyrille
Piano – Cecil Taylor
Recorded By – Rudy Van Gelder
Notes
Recorded At – Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, New Jersey, on October 6, 1966.
このアルバムでまず言えるのは「ユニット・ストラクチャーズ」に比して格段に録音が良いということだ。ピアノの音はクリアーになり、ベースに関しても前作ではニュアンスが聴きづらいところがあったが、今回は随分良くなっている。細かいことを言えば、ライオンズのソロの後ろのピアノのレベルが低すぎる、などあるが、バランスも音質も改善されたと思う。前作はセシル・テイラーがヴァン・ゲルダーに対して随分な要求をし、波乱含みのレコーディングであったのだというが、今回は近接して2度目のレコーディングであり、セシルの音楽に対しての研究が進んだこともあるのだろう、この時期のヴァン・ゲルダー・スタジオらしい音で録れていると思う。
本作はA,B面各1曲。これは初ではないだろうか?
「Conquistador!」はファンファーレ的な2管のユニゾンから始まる。これはこの時期の集団即興演奏ものによくある始まり方である。通常はここからドシャメシャな世界に入るのだが、ここでは他と異なり、ピアノによるブリッジが入る。そして、ライオンズのソロが始まるのだがこれは即興というよりは、しばらくの間テーマを引き延ばしている様な演奏が続き、その後はセシルのフレーズのリフレイズ的な演奏となる。これが5分あたりまで続く。
その後今回初参加のビル・ディクソンのスロー・テンポでのソロに移るのだが、これも即興演奏というよりはやはりあり程度決められたメロディーを吹いているようである。ここでのメロディーはスパニッシュ風を感じる。タイトルが「Conquistador!」なわけであるから、ディクソンはそのあたりを汲んでいるのだと思う。
その後2管のユニゾンで本来のテーマを演奏しているかのようなパートに入る。このテーマはハッキリ調整を感じるメロディーで、ドリアン・スケールからなっていると思われるのだが、それがいつの間にかセシルのフレイズをリフイズするようになり、この部分は終結しセシルのソロへ。
セシルに関して「ピアノを打楽器のように扱う」、「パーカッシブな奏法」という形容が頻繁に使われるが、このソロ部分などその典型ではないだろうか?ジョン・ケージは1台のピアノでダンス・ミュージックを奏するためにプリペアード・ピアノを考案し「Bacchanale」(https://www.youtube.com/watch?v=pNM9DLrxOZA)という曲にしているが、その行き方を継承するようなパートである。ベースとドラムスがどの様にこれに対峙するかも聴きどころと思う。
13分半あたりで再び2管ユニゾンで短いテーマがあり、次にピアノとベースのインタープレイ部があり、2管によるユニゾンが現れ、さらに最後の最後でベースのデュオが入った後、ピアノと2管が入り曲全体が終結する。ピアノがフィーチャーされたパート以降のこのブロックはどのような意図のもとにあったのか?明確なポイントを欠いている感はあるが、収束に向かうブロックとして妥当性はある。
この曲では上述したセシルの「打楽器的な」ピアノが聴きどころと思う。セシルはモダン・ダンスへの関心が高く、自らもダンス・パフォーマンスを行うほどであるが、当然ダンス・ミュージックへの関心も高い。その観点からストラヴィンスキーやケージにも関心を持っていたのだと思う。ジョン・ケージの「Bacchanale」とのアイデア的な関連を書いたが、多くの影響を1つの曲にするのではなく、奏法として開発し身につけたところが、素晴らしい。その奏法を存分に生かしたのがこの「Conquistador!」と思う。
さてB面。
「With (Exit)」は冒頭2管のユニゾンが調整のある、リフレインを含むフレーズを奏でる。これは解決の仕方も含め何か映画音楽のようで独特の雰囲気を持っている。開始から3分-4分あたりはまるでドゥビッシーのようなピアノで、今までとは異なったセシルの一面を見る様である。まあ、ドゥビッシーということはエリントンの一部の曲のようであるとも言えるから、受けた音楽的な影響に関する本人の発言から外れているわけではない。ただ具体的にレコーディングされたのは初めてで、同時代にこれを聴いたなら大変新鮮に感じたことであろう。
そこからセシルならではのリフが登場し曲調は展開。ビル・ディクソンがフィーチャーされるパートに移る。入りのロング・トーンの連続がまず気持ち良いのだが、そこからすぐに展開し、ディクソンがセシルをリフレイズするような展開になり、ディクソンは短いパッセージを連発する。ここがグライムスのベースと相まって不穏な感じで良い。
その後7分40秒あたり、後年よく聴くことになる6/8風のリフが入り、ライオンズのソロとなるが、ライオンズのソロはやはりパーカー的で、前も書いたがチェロキーのようである。個人的には、この時のピアノのレベルの低さが気になる。このソロが約5分間続く、録音レベル的にもライオンズが全面にフィーチャーされ続けるため、ライオンズをあまり好まない向きにはちょっと厳しい冗長な5分間となる。
その後に3分ほどのセシルのソロ・パートがくる。セシルのタッチの正確性とそのスピードは毎度のことだが大変なもので、ここでは鍵盤の上で手を返しながら甲で引くテクニックも披露されている。テクニック面を強調してしまったが、モチーフもテクニックと共にあるわけで、モチーフのためにそれと一体化した奏法を開拓し身に着けるところが、セシルのすごいところと思う。
もちろんクラスターなどヘンリー・カウエルに帰せられるし、一つ一つは前例のある弾き方かもしれないが、それでも謂わば異端的で周縁的なテクニックを自身のモチーフの中に組み込み、打楽器のようにピアノを奏するという自身のアイデンティティーとして昇華したところにセシル・テイラーの凄みがある。
前の部分が長くなってしまったが、この曲はその後2管のユニゾンが入り、シルバ中心のベースのデュオ演奏があり、再びユニゾンのフレーズが入って、それを合図に終結する。
どうしても上物ばかりの話になってしまうが、シルバ、グライムス、シリルの演奏も優れものだ。シリルはブラシを多用、グライムスのベースは一番低い部分を徘徊する感じで、いつもながら不穏な感じである。シルバのアルコも例えばドゥビッシー的と評したスロー・テンポの部分などで効果をあげている。
セシルのピアノに関しては、テクニック的にもモチーフ的にも近年まで続いていく多くの要素がここまでに現れ出た感がある。特にこのアルバムは「打楽器的奏法」を前面に出し、作品としてレコーディングできている点で特筆に値し、冒頭にも書いたように録音も良い。セシル・テイラーの代表作の1つである。