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「ハマスの論理」 "On the Record with Hamas" Jeremy Scahill より
前回に続き"Drop Site"のジェレミー・スケイヒル(Jeremy Scahill)氏による記事。24年の7月9日付で少し古いのだが"Drop Site"の立ち上げ初期の記事で「ハマスおよびパレスチナ・イスラム聖戦の視点を探るシリーズの第一弾」ということなので、紹介しておきます。
スケイヒルは「デモクラシー・ナウ!」の制作、「インターセプト」の編集者を経て昨年24年の7月にこの「ドロップ・サイト」を立ち上げたとのこと。個人的に「デモクラシー・ナウ!」はよく観るし、「インターセプト」もスノーデンのころからたまにチェックするようにしていた。今回もいい仕事をしている。
この記事は以下の問いに始まる。
「ハマスの視点から見て、「アル=アクサ洪水作戦」は成功した作戦だったのでしょうか? ハマスは、イスラエルの報復が多くのパレスチナ民間人の犠牲を伴うことを間違いなく認識していたはずです。その恐ろしい規模は予見されていなかったとしても。では、10月7日の攻撃は、230万人のパレスチナ人の同意を得ないまま行われた集団的な殉教作戦だったのでしょうか? また、パレスチナの大義を支持すると宣言しつつ、10月7日の攻撃の暴力を反射的に非難する多くの人々は、それらを現実的にどのように切り離すことができるのでしょうか?」
この問をスケイヒルはハマスの指導者たちに投げかけるわけだ。
ハマス政治局の上級メンバーであり、ガザの元政府大臣でもあるバセム・ナイーム博士(前回紹介した停戦後のインタビューに答えた人物)は10月7日の作戦を、ガザの人々に対して軍事的、政治的、経済的な集団的懲罰を加えてきた占領軍に対する正当な反乱である、と位置づけ以下のように述べる。
「ガザの人々には二つの選択肢しかありませんでした。包囲と栄養失調、飢餓、薬の不足、海外での治療の欠如で死ぬか、それともロケットで死ぬかです。他の選択肢はありません」「選ばなければならないのなら、なぜ『良い犠牲者』や『平和的な犠牲者』であることを選ばなければならないのでしょうか?死ななければならないのなら、尊厳をもって死ぬべきです。立ち上がり、戦い、反撃し、尊厳ある殉教者として立つべきなのです。」
スケイヒルはこの後アンケートを引用し、もう一人のハマス指導者ガジ・ハマド氏のインタビューへつなげる。
『パレスチナ政策・調査研究センターが実施し、6月中旬に発表された最新の世論調査によれば、ガザ住民の3分の2が10月7日のイスラエルへの攻撃を支持し続けており、80%以上がこの攻撃によってパレスチナ問題が世界的な注目を集めたと考えてる。また、調査対象の半数以上が、戦争後にハマスが政権を取り戻すことを望んでいると回答した。「彼らはイスラエルとの平和に対する信頼を失っています。人々は今、唯一の方法はイスラエルと戦い、闘争することだと信じています」と、元ハマス副外相であり、政治局の長年のメンバーであるガジ・ハマド氏はインタビューで語った。「私たちはパレスチナ問題を交渉のテーブルに載せました。新しい歴史のページが開かれたと思います。」「イスラエルは今、ガザで9か月間戦争を続けています—9か月です。これは小さな地域です。山も谷もありません。非常に小さく、包囲された地域であり、ハマスの20,000人の戦闘員に対して戦っています」「彼らはアメリカの支援を受けた全軍事力を投入していますが、私は今、彼らが失敗したと思います。失敗したのです。」』
ハマスの政治局のメンバー、ナイーム、ハマド両氏のコメントを紹介した後、スケイヒルは研究者や歴史家の「これだけの犠牲を正当化することはできない」という意見を紹介した後、以下の意見を引く。
『パレスチナ系アメリカ人の小説家であり、"Against the Loveless World"や"Mornings in Jenin"などの著者であるスーザン・アブルハワ氏は、昨秋の包囲が始まって以来、2度ガザを訪問しており、パレスチナの武装抵抗を擁護する立場を崩していません。彼女は、10月7日以降のイスラエルによるガザ民間人の大量虐殺の責任がハマスにあるという考えを否定しています。「これは、ワルシャワ蜂起の人々に対して、『ドイツ軍がこうした対応をすることは分かっていたはずだ。他のワルシャワ・ゲットーの住民の死は君たちの責任だ』と言うようなものです」「もしかしたらそれは真実かもしれませんが、それが本当に道徳的な主張なのでしょうか?これほどまでに先住民の抵抗方法が細かく精査された例は他にないと思います。」
さらにアブルハワ氏はこう語りました。「パレスチナ人として、私はそれに感謝しています。彼らが成し遂げたことは、どれほど交渉を重ねても達成できなかったことです。私たちが過去に行ったどのようなことでも、10月7日に彼らが成し遂げたことには及びません。そして実際のところ、それは彼らが行ったことというよりも、イスラエルの反応によって物語が転換したのです。イスラエルがついに世界の目の前で裸になったからです。」』
ここまでが、記事の序段で、
『この記事は、ハマスおよびパレスチナ・イスラム聖戦の視点を探るシリーズの第一弾です。』
とのことわりが入り、10月に死亡が確認されたヤヒヤ・シンワルの話に移行していく。
ぼくは特に"Drop Site"に関係しているわけではないが、ハマス・サイドの主張が整理してあると思うので、興味のある方、続きは同サイトで。