
セシル・テイラー 11 「セシル・テイラー・ユニット」 "Cecil Taylor Unit" Cecil Taylor
Tracklist
A1 Idut 14:40 A2 Serdab 14:13 B Holiday En Masque 29:41
Credits
Alto Saxophone – Jimmy Lyons (2)
Bass – Sirone
Drums – Ronald Shannon Jackson
Piano, Composed By – Cecil Taylor
Trumpet – Raphe Malik
Violin – Ramsey Ameen
Engineer [Recording, Editing, Mixing] – Don Puluse
Notes
Recorded in April 1978 at Columbia Recording Studios, 30th Street, New York, NY.
本作はニュー・ワールド・レコーズ(https://en.wikipedia.org/wiki/New_World_Records)からのリリースで、ロック・フェラー・ファウンデーションの補助金によるアメリカ建国200年記念事業の一環としてレコーディングがなされたという背景がある。
セシル・テイラーのリーダー作で、アメリカでのスタジオ録音は実に12年ぶり。アメリカに限らずともこの間にあったのは日本制作の"SOLO"のみである。売れ行きの問題が一番大きいのは確かだが、その他にも契約の難しさなどの要因もあったのだろう。このアルバムのような補助金なしでは、なかなかスタジオでのレコーディングの機会がない状態に陥ってしまっていたといえる。
ここから3年後にビル・ディクソン、ポール・ブレイ、アーチー・シェップ、セシル・テイラーをフィーチャーした「Imagin The Sound」というドキュメンタリーが制作されたが、その中で「まるで、透明人間になったようだ」と言うセシルの姿が印象的であった が、映画自体も「一つの波が通り過ぎた後」感に包まれた印象であった。
NYはパンク・ロック真っ盛りでジョン・ルーリーなどフリーに影響を受けたフェイク・ジャズの動きもそろそろ出てくる頃合いではあったのだが、先人が思い出され、若い世代の注意を惹くにはまだまだ時間がかかるのである。
と、なんとなく調子の出ない書き出しとなってしまっているが、アルバムの内容はすこぶる良い。このころはライブ盤や再発が多くリリースされていて、後追いで入るとどうもこのアルバムは聴かずにおかれる傾向にあると思う。一番の問題はなんだか2流感漂う手に取りにくいジャケットのアートワークにあると感じる。レコーディングにお金をかけたのにもったいない話である。
さて、このアルバムでまず特別な点はレコーディング・スタジオがかのColumbia 30th Street Studio (https://en.wikipedia.org/wiki/CBS_30th_Street_Studio)であることだ。このスタジオは音が良い事で有名であり、ジャズ・ファンにはマイルスやモンクの録音でもお馴染みである。このスタジオで4月の3日から6日までセッションが行われ、後半の2日の結果がこのアルバムに収められたのだという。
エンジニアはディランやスライ、エディ・パルミエリなどの作品にクレジットがある Don Puluse で、コロンビアのスタッフ・エンジニアであったのではと思う。
メンバーはこの当時セシルと活動を共にしていた若手を含むメンバーであるが、中で個人的に好みなのがロナルド・シャノン・ジャクソン(Drs)で、他にオーネットの「ダンシング・イン・ヨア・ヘッド」やジェームス・ブラッド・ウルマーとの仕事が思い浮かぶ、独特のスタイルのドラマーだ。
別名"The Church"と呼ばれるコロンビアのこのスタジオの空間の音の良さは抜群で、特にドラムの音の良さは特筆に値する。実際、このアルバムのドナルド・シャノン・ジャクソンのスネアの連打の気持ち良さは比肩しうる例がなかなか思いつかないレベルである。
ピアノの音もとても良いと思う。グレン・グールドがこのスタジオで録音した折の写真で、4-5台のピアノが並べられ、それらを試奏している様子を写したものがあるが、この時も良いピアノが沢山用意されていたのではないだろうか?ライナー・ノーツによるとベーゼンのインペリアルを弾いた様子で、確かに倍音が豊かで、ゆとりのあるなり方をしている。ただ、欲を言えばアンサンブル時のピアノのバランスが若干低くくなっていて、残念に思う部分があった。
内容的には当時のセシル・テイラー・ユニットのコンセプトを伝える貴重な録音であり、全体を通して構成された集団即興演奏で、セシルのソロ部分以外は所謂ソロがないことが特徴だ。これはなかなかレアなケースと思う。
「構成された」というのは曲としての骨組み的構成の存在を感じるという事で、曲のパート、パートでの即興では「ここは譜面がありそう」と感じる部分もあるが、まったくドシャメシャな部分もある。特にB面「Holiday En Masque」のラスト付近のドシャメシャぶりは凄まじく、ロックフェラー・ファウンデーションのアメリカ建国200年記念事業はこの部分だけでも価値があったのではないだろうか?
この編成でのレコードは"Live In The Black Forest"('79),"One Too Many Salty Swift And Not Goodbye"('80)の2枚のライブ盤があり、このレコーディングを起点にグループとしてしばらく活動を継続したわけである。
この後セシル・テイラーのレギュラー・グループらしいものは晩年まで活動を共にした、トニー・オクスレイ、ウィリアム・パーカーとのフィール・トリオということになる。このフィール・トリオは考えてみると随分長持ちしたわけであるが、3人という人数と散発的に集まるスタイルが良かったのであろう。