ドン・チェリー 4 「永遠のリズム」 Don Cherry " Eternal Rhythm"
Tracklist
Eternal Rhythm, Part 1(17:45) Aa Baby's Breath Ab "Sonny Sharrock" Ac Turkish PrayerAdCrystal Clear (Exposition) Ae Endless Beginnings Af Baby's Breath (Unaccompanied
)Eternal Rhythm, Part 2(23:37) Ba Autumn Melody Bb Lanoo Bc Crystal Clear (Development) Bd Screaming J Be Always Beginnings
Credits
Bass – Arild Andersen
Cornet, Gamelan [Gender, Saron], Flute [Bengali Flute In A, Bamboo Flute In C, Metal Flute In B Flat, Plastic Flute In C], Performer [Haitian Guard], Bells [Northern Bells], Voice, Composed By – Don Cherry
Drums, Gamelan [Saron], Gong, Bells, Voice – Jacques Thollot
Guitar – Sonny Sharrock
Piano, Piano [Prepared] – Joachim Kühn
Tenor Saxophone, Oboe, Clarinet, Flute – Bernt Rosengren
Trombone – Albert Mangelsdorff, Eje Thelin
Vibraphone, Piano, Gamelan [Gender] – Karl Berger
Producer, Liner Notes – Joachim E. Berendt*
Recorded By [Recording Director] – Willi Fruth]
Engineer [Recording] – Guenther Topel*
Notes
Don Cherry's Eternal Rhythm Group was organised and recorded in collaboration with the Berlin Jazz Festival, Nov 11th and 12th 1968.
このアルバムあたりを境にドン・チェリーは所謂トリップ系というかメディテーション系の音楽に傾斜していく。メンバーが地べたに胡座をかいて座って演奏するスタイルになり、今回は違うが、頭は金物系鳴り物で始まる。この傾向がオールド&ニュー・ドリームが始まるあたりまで続くことになる。
ヨアヒム・ E・ ベーレントのライナー・ノーツによると、彼のプロデュースであるバーデン・バーデンのフェスティバルで、67年、ドン・チェリーに作曲を依頼、その曲のために14名の選りすぐりのミュージシャンを呼び寄せ同年の12月に実現したのが"Eternal Rhythm"の初演で、以上が誕生の経緯とのこと。そしてその演奏にいたく感激したベーレントがベルリン・ジャズ・フェスティバルでの再演と、MPSへのレコーディングをフィックスし出来上がったのが、このアルバムとのことだ。
チェリーのディスコグラフィーを見てみると、67年12月以前での直近のセッションがブルー・ノートへの"Where is Brooklyn?"のセッションで66年の11月である。この音楽との近さだけでいうと66年9月の"Symphony For Improvisers"のセッションの方が近いが、それでも随分な距離があるように感じる。
ほぼ1年の間にどのような変容があって、ガムラン、バンブー・フルートやベンガル・フルートを取り入れたこのトリップ系の音楽に至ったのか?大変興味があるところである。
プロデューサーのベーレントは「ジャズ・ミーツ・ザ・ワールド」という、乱暴に言えば各地の民族音楽とジャズのフュージョンを試みるシリーズをMPSでプロデュースしており、彼からチェリーへの作曲依頼に際してなんらかの示唆があったのかもしれない。
また、この音楽のポイントとなっているのが、チェリーとかねてより仕事をしており、"Symphony For Improvisers"に参加しているカール・ベルガーのガムランであることを考えると、ガムランを使うアイデアを2人でしばらく温めていたのかもしれない。
ただ、ヨーロッパに渡って以降のチェリーの視野の広がりを考えると、この音楽の方向性は自然な延長の結果にも見えることは確かで、この音楽が後々の彼の音楽のルーツとなっていくことも自然な流れとして頷けるのである。
A面の冒頭でチェリーはバンブー・フルートとベンガル・フルート2本を同時に吹き、鮮烈な音を奏でる。これに関してチェリーの発言がライナー・ノーツにあるので引用しておく(意訳です)
「多くのミュージシャンがどうやってやるのかぼくに尋ねるが、このやり方はとても古いもので、ぼくのオリジナルでもなんでもなく、パン(牧神)がやっているのが、ギリシャの壺にも描かれているほど、永続しているものだ」
渡欧以降のチェリーのプレイに、広くユーラシアのメロディーのニュアンスを感じるが、以上の発言から、チェリーはそこに永続してきた「永遠の旋律」のようなものを見出そうとしていたのではないだろうか?
チェリーは新世界から旧大陸へ渡り、そこで伝統音楽に触れ「このメロディーとリズムは古そうだ」と直感できるものに行き当たったのではないだろうか?ぼくも例えばアンダルシアの音楽などでその歴史を想わずにはいられなくなるような旋律に出くわした経験がある。
「永遠のリズム」とは大げさなタイトルにしたものだ..的な感想をタイトルだけ聞くと思ってしまっていたが、その音楽に触れ、発言に触れると、チェリーの言いたいことも頷けるのである。
チェリーの母方はインディアンなのだそうだが、ユーラシアで「永遠の旋律」に出会い、逆に自分のルーツ「古くからのアメリカ」や「アフリカ」の「永遠の旋律」や「永遠のリズム」に目がいったのではないだろうか?
このアルバム以降のチェリーの音楽を想うと、そのようなことが頭をめぐるのである。
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