オーネット・コールマンのレコード 21 「ダンシング・イン・ユア・ヘッド」 The recordings of Ornette Coleman No.21 "Dancing In Your Head"
Tracklist
A. Theme From A Symphony (Variation One) 15:38
B1. Theme From A Symphony (Variation Two)11:05
B2. Midnight Sunrise4:28
Credits
Alto Saxophone, Producer, Written-By – Ornette Coleman
Bass – Rudy MacDaniel (tracks: A, B1)
Clarinet – Robert Palmer (3) (tracks: B2)
Drums – Shannon Jackson* (tracks: A, B1)
Featuring – The Master Musicians of Joujouka (tracks: B2)
Lead Guitar [1st] – Bern Nix (tracks: A, B1)
Lead Guitar [2nd] – Charlie Ellerbee* (tracks: A, B1)
Creative Director – John Snyder
Producer [Associate] – James Jordan (2), Robert Burford
Recorded By – Francis Maimay, Steve Goldstein
Mastered By – Bernie Grundman
本作には75年のパリでのセッションと73年のモロッコでのジュジューカとのセッションが収められている。リリースは77年。「アメリカの空」の発売が72年であるから、5年間空白があった後に登場した作品ということになる。ちなみに同じセッションをまとめた「ボディ・メタ」が翌78年にリリースされたが、同年にはヘイデンとのデュオ作「Soapsuds」も出ている、こちらは77年の録音。その後、オーネットがリーダーの本格的な作品は79年録音で82年発売の「Of Human Feelings」となる。
ようするに72年以降の10年間でリーダーとしてのレコーディング・セッションは2回だけで、なおかつ各々レコーディング後2-3年寝かされているわけで、当時のオーネットをめぐる環境がなんとなく想像できる。
77年といえばもうパンク・ロックの全盛期で、その後のニュー・ウェーヴの文脈の中でオーネットが再評価され、ジェームス・ブラッド・ウルマーの作品がラフ・トレードから出たり、この作品に参加しているバーン・ニックスがコントーションズと共演していたり、ということがその流れの中で起こってくる。
プライム・タイムのメンバーはそれぞれ、それなりにニュー・ウェーヴの恩恵を受けたのだが、反対にいえば、パンク、ニュー・ウェーブ自体がそのルーツに、ルー・リードなどニューヨークのアンダー・グラウンド・シーンを経由してだが、オーネットやセシルの音楽を持っているということである。
ぼくは、どっぷりニューヨーク・パンクからの世代で、それらの音楽を経由してオーネットやドン・チェリー、セシル・テイラーの音楽を聴くようになった経緯を持っているから、「Dancing In Your Head」を聴いて、特にこのギター・サウンドに触れると何か1周して来たという感覚に襲われ、且つ、いつも新鮮なこのサウンドが嬉しくなる。
ビートニクなども全てその経由で、モロッコにも憧れがあり...と話し出すと散らかるので機会をみてにしたいと思うが、「アメリカの空」で「The Good Life」とされていたモチーフの「Theme From A Symphony」でのこなしを聴くと、マラケシュのジャマエル・フナ広場の混沌とし、どこか無国籍なマーケットの様子を思いだし、何か楽器をつかんでこのグルーブに参加して、どこかの果てまで踊りながら行ってしまいたい、という、いささかロマンチックな衝動にかられる。
オーネットはニューオリンズ・ジャズに言及することがあるが、ここではそのフォーマットを意識しながらも、何かもっと広い世界での無国籍なパレード音楽を出現させたように思う。社会の外からやってきて、音楽をもって何か渦をまきおこし、子供達を連れ去ってしまう笛吹き男、的な例を持ち出すとありきたりに堕してしまうが、「Theme From A Symphony」は突然外部から落ちてきたような音楽であり、それに否応なく魅了されるのである。
この「踊りながら」なおかつ「参加したくなる」という2つの要素はもうポピュラー・ミュージックのど真ん中的要素であるのだが、上述の通りレコーディングもリリースの機会も限られていった状況をみるに当時のポピュラー・ミュージックのシーンとは何か決定的なずれが生じていたのだと思う。まあ、それはそれで、ニュー・ウェーブ以降ニューヨークのシーンにおいて(ルー・リードのリスペクトも大きかったと思うが)、何かその元祖のようなポジションにオーネットが収まり、最終的にジャズの世界に止まらない存在になっていった、その発端の一つにこの作品はあるように思う。
さて、この作品のもう一つの聴きどころがジュジューカのミュージシャンとの共演による「Midnight Sunrise」である。もっというとこの共演がオーネットにプライム・タイムを結成するきっかけを与えたように思うがどうだろう?
祭りであったり、パレードであったり、何らか日常から離れた、祝祭的だったり呪術的だったりする「ハレ」の場に、社会の構成員それぞれが巻き込まれるように参加する時、通常は社会の外部、周縁に存在する「ミュージシャン」という存在が求められ、裏返り、中心化することで一種アナーキーな状況が巻き起る。そのような装置としての音楽や音楽家のポジションをオーネットはモロッコで再確認したのではないだろうか?
「Theme From A Symphony」での演奏はどこか外からやってきた音楽集団感満載である。祝祭・呪術という人間社会が組み込んできた抑圧解放装置の必須要素であるアナーキー感を生み出す「音楽家集団」の在り方を十二分に表現していると思う。
のであるのだが、反対に「Midnight Sunrise」におけるオーネットにはこのアナーキーな場にあって「外部」「より自由ではないもの」「ある秩序のインサイダー」感を個人的には感じてしまうのであるが、どうだろう?
アルト・サックスという西洋文明的完成度を持った楽器を手にやってきたオーネットのブロウはどこからどうしても悲しいほどアメリカのジャズ・ミュージシャンのフレームの中におさまっているのである。
この共演においてオーネットの実存(もとより実存などという言葉がふさわしくない場でのセッションであるが)よりも「アメリカのジャズ・ミュージシャンの演奏」というフレームが際立つのである。
体系の違う楽器を持ってその場にいるのだからもうしょうがないわけであるし、オーネットがジュジューカのミュージシャンのパイプを手に演奏したらどうなったか?などと、やってもいないことを想像してもしょうがないのであるが、この共演から感じる「囚われ感」はいかんともし難いものがある。
ただ、この体験が昇華され「プライム・タイム」が始まり、ある種、個々メンバーの活動もあり、その後のニューウェーヴの音楽の一つの源泉となっていったことに思い当たると、ジュジューカとのセッションの意味合いを違った形で認識できる...と、ひとまず納得することができるから、やはりオーネットのこのアクションの影響は大きかった、としておきたい。
後半なんとなくネガティブにとれる文章となってしまったが、「アメリカの空」からのあまりの豹変。なかなかできることではない。大きくジャズの文脈でオーネットを捉えていたファンの多くはドン引きだったろうな〜と思う。
思い返してみるとパンクと同時並行でこの時代頽落系フュージョンが量産され、それがシティー・ポップス的に消化されていったこともあり、エレキ化というだけで「そっち系」の変わり種的に見るやからもいたと思う。ヨーロッパではシュリッペン バッハだったり、より現代音楽的なジャズの潮流も生まれており、その中でオーネットのプライム・タイム化は一つ浮いた現象に見えたのかもしれないetc...。
前半にも書いたが70年代で中盤以降のリリースは結局、この作品と「ボディ・メタ」、1セッションの音源からの2枚に終わっているのであるが、パンク、ニュー・ウェーブ、ヒップ・ホップ、サルサ、レゲエetc..と今ある音楽のフォーマットがドッと出てきた70年代後半にあって、その中にあっても、後への影響が大きかった1枚ではないだろうか?
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